故人が残した名言集【2月28日】

松谷みよ子さんの残した言葉【児童文学作家】1926年2月15日~2015年2月28日



「おねがいだから石を投げないで。あなたたちには遊びでも、わたしには命のもんだいだから。」



「姉という存在がいるのは、すばらしいことです。仕事でも生活でも指針になりますし、自分を見つめなおすこともできます。」



日本の児童文学作家。 父は社会派の弁護士で、無産政党代議士となった松谷與二郎。元夫は児童文学関係者で人形劇団座長の瀬川拓男。自伝として、『自伝 じょうちゃん』、『小説・捨てていく話』がある。



まどみちお さんの残した言葉【詩人】1909年11月16日~2014年2月28日



「子どもはほんとに言葉の天才です。むろん知っている語彙は少ないのですが、その少ない言葉を自由自在に、しかも的確に操るのです。」



「生まれたところだけがふるさとではなく、死んでいくところもふるさと。宇宙をふるさとにすれば、一緒のところになります。」



「あきらめないことです。あきらめたらおしまい。」



「言葉の響きを大切にしたい。言葉は、意味だけでなく響きも人間の大きな財産なんです。しかも意味より、響きとの付き合いの方が長い。耳を持って以来ですからね。」



「虹は本当に素晴らしい。その真下に赤ちゃんを抱っこしたお母さんがいるとなお素晴らしいなと私は思います。」



「ちがっても仲良くしようではなく、ちがうから仲良くしよう。」



日本の詩人。本名は石田 道雄。25歳のときに北原白秋にその才能を認められ、33歳のときには太平洋戦争に召集された。詩作りは20代から始め、以来生涯にわたって詩を作り続けた。創作意欲の源は、政治・行政・教育・経済・戦争などに対する不満である。



与那嶺要さんの残した言葉【プロ野球選手】1925年6月24日~2011年2月28日



「文句言うたら日本の野球、うまくならないよ」



アメリカ合衆国ハワイ準州マウイ島生まれの元プロアメリカンフットボール選手、プロ野球選手・コーチ・監督。 父親は沖縄県、母親は広島県出身のハワイ移民日系2世。日本IBMの社長を務めたポール与那嶺は息子。 「ウォーリー」という愛称で親しまれ、ウォーリー与那嶺の標記もされることがある。



飯島夏樹さんの残した言葉【プロウィンドサーファー】1966年8月19日~2005年2月28日



困った時。
ずっーと困った時の連続なんだよね人生は、結局。
ある本に『今回悪かったから、次は絶対いいことがある、って思うのは違う。
人生そんなに甘くない』とあった、俺も同感。
悪いこと困難そのものも、そのまま受け取ること。
『すべてのことは益となる』結局はこの言葉だろうな。
ふたつの道があったら、自分に都合の悪そうな方へどうぞ。
あと、バイブルの箴言と伝道所の書を読んでね。
そして、どうか辛いときには、祈ってみてね、答えは心の中にするから

(遺書)



日本のプロウィンドサーファー。日本人として唯一、8年連続でワールドカップに出場した。サニーサイドアップに所属していた。 愛称はなっちゃん。 妻は、DJ・エッセイストの飯島寛子。


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