故人が残した名言集【3月20日】

メアリー・ウォーノックさんの残した言葉【哲学者】1924年4月14日~2019年3月20日



「自分にあの残酷さがないとは言い切れない。もし自分がその時そこにドイツ人としていたら、果たしてユダヤ人に対する非道な行いに加担しないだけの倫理性や意志の力を持っていたか、断言はできない。」



「役に立つからするということは、それを楽しむ可能性を排除するものではない。むしろ、役に立つようにするということは、それをきちんとするということになり、そうすることで、それをすることの楽しみを見出すきっかけになる。」



「学校で学ぶことには、何らかの理由があると、それを学んでいる生徒が感じられなくてはならない。その理由とは、内的なものでもいいし、外的なものでもいいし、両方でもいい。」



イギリスの哲学者、実存主義にかんする著作家。専攻は道徳哲学、教育哲学、心の哲学。1984年から1991年までケンブリッジ大学ガートン・カレッジの代表を務めた。2018年ダン・デイヴィッド賞受賞。



デイヴィッド・ロックフェラーさんの残した言葉【ロックフェラー家第3代当主】1915年6月12日~2017年3月20日



「Success in business requires training and discipline and hard work. But if you’re not frightened by these things, the opportunities are just as great today as they ever were.」

(ビジネスでの成功は訓練と規律と労働が必要である。だが、それらを苦としないのであれば、今日の機会は過去よりもさらに大きいものである。)

「必要が発明の母なら、不満は進歩の父である。」



「利益は事業にも人生にも重要。」

「利益」の魅力が雇用を創出し、富を生み出し、その他のいずれの社会的、経済的システムも成し得なかった方法で人々に力を与える。

「離婚と政治にはカネがかかる。」



「仕事を通じて作るのは金と友人。」



「ボスは2人より1人がいい。」

最高経営責任者を2人置く体制は機能しない。気まずい妥協の結果が方針に反映されるからだ。

「友人とビジネスを始めるのを迷うことはない。」

一緒にビジネスをして最もうまくいくのは、相手との間に信頼関係と理解、忠誠心があるときだ。これらは、友人関係に欠かせないものでもある。

「資本主義は擁護すべき。」

金を稼ぐことに罪悪感を持つべき人間などいない。

「資本主義に必要なのは政府と市場の協力。」

全ての問題を解決し、全ての病気を治すために政府と市場のどちらか一方だけに依存することは、現実的ではない。

「オフィスの外に出ること。」

(チェース・マンハッタン)銀行の顧客に会うために私が訪れたのは50の州のうち42州。ビジネスのために誰かとした食事は約1万回(ニューヨークでの食事は除く)。取引先や顧客との会議は何千回にも上る。

「できる限り遠くまで出かけること。」

私が飛行機で移動した距離は、世界200周分。銀行で仕事をしていた35年間に、103か国を訪問した。

「腹立たしいことがあるなら、議員に手紙を書くこと。」

誰でも議会や政府に自分の意見や懸念を伝えることができなければならない。

「名字が『扉を開く』こともある。」

「ロックフェラー」の名が有利に働くこともある。私からの電話には、誰でも出てくれるようだ。

「反対に『閉じる』こともある。」

一方で、人から疑われたり、皮肉を言われたりすることもある。自分の努力で何かを達成しても、「名前のおかげ」と言われることもある。 言いたい奴には言わせておけ。ほんのわずかでも「出る杭」になる人が、面の皮を厚くしておくことは非常に重要だ。

「父親になることが、新しい視点を与えてくれる。」



「家族を大切にする。」

祖父とパートナーたちは、仕事の上では厳しくやり合うこともあった。だが、それは仕事上に限ってのことだった。

「家族のために行動する。」

(兄の)ネルソンの選挙運動に表立って協力することはあまりなかったが、時には一緒に人前に顔を出す義務も感じた。

「(しかし、)一番驚かせてくれるのは家族だ ─ ネルソンと(二番目の妻となった)マーガレッタ・ハッピーの不倫関係を知ったときには、ショックを受けた。一番近くにいる者が最後まで気付かないというのは、よくあることだ。。」



「趣味を持つ。」



「良き師を見つける。」

私が歴史に興味を持ち、ずっと関心を失わなかったのは、6年生のときの先生のおかげだ。

「人間は自分にないものに引かれる ─ 妻と一緒に過ごす時間は楽しかったが、私たちはそれぞれ異なる関心事を持ち、相手がそれに時間を費やすことを互いに認めてきた。それが、長く幸せな結婚生活を送るためのカギだったのだろう。」



「分相応に暮らす。」

簡単に借りられる金は投機に使うこともできるし、手を広げすぎることにもつながる。

「冒険心を大切にする。」

兄のローレンスは、何でも一度は試してみるという考えの持ち主だった。新しいアイデアに対する兄の関心は決して衰えることがなく、ベンチャーキャピタリストとして大きな成功を収めた。

「外国について知る。」



「後悔せずに生きる ─ 祖父は後悔のため息をついたことがなかった。(違法だとして解散を命じられた石油トラストの)スタンダード・オイルも、社会に利益をもたらしたと確信していた。」



「永遠に残るものを作る。」



「ビジネスを通じて得ることができる喜びには、永続性と自分自身を超える価値の創出がある。」



アメリカの銀行家であり、実業家であり、慈善家であり、ロックフェラー家第3代当主である。チェース・マンハッタン・コーポレーションの会長兼最高経営責任者を務めた。 デイヴィッド・ロックフェラーは2004年7月以来、ロックフェラー家と一族の家長の中で最も長生きしていた。


いかりや長介さんの残した言葉【コメディアン】1931年11月1日~2004年3月20日



「『ありがとう』の言える人間になりなさい。『ごめんなさい』の言える人間になりなさい。嘘をつくような人間にはならないこと。」



「遠くない未来に、素人いじりや他人をこき下ろすコメディがこの世からなくなることを信じている。」



「だめだこりゃ!」



日本のコメディアン、タレント、俳優、司会者、ベーシスト、ミュージシャン。 「ザ・ドリフターズ」の3代目リーダー。本名:碇矢 長一。 愛称は「長さん」。ドリフ時代初期は芸名を「いかり矢 長介」としていた。ドリフ映画で使われる呼び名は「ゴリラ」「下唇」。 東京府東京市本所区中之郷横川町生まれ。



五島昇さんの残した言葉【実業家】1916年8月21日~1989年3月20日



「事業とは、最後は浮沈をかけた勝負である。」



日本の実業家。東京急行電鉄社長・会長。日本商工会議所会頭。五島慶太の長男。


大石内蔵助さんの残した言葉【忠臣蔵】1659年4月24日~1703年3月20日


「助申すまじくこと。ただし、女には苦しからず。」



「抑えること無用、もっとも相手によるべし。」



「したむべからず。」



「盃、下に置くべからず。」



「喧嘩、口論固く無用。」



「勝利之全所を専に。」



「大石一家は大腰抜けばかりで、僅かに我ら父と子と大石瀬左衛門が残るのみ。面目ない。」



「そなたを見るのもこれ限り。かねがね申し聞けおいた事、忘れてはなりませぬぞ。」



「この内蔵助の望みはただひとつ。怨敵・吉良上野介の首でござる。本懐を遂げる日まで、この内蔵助を信じ、おのおの方の命をお預け願いたい。」



「狙うは怨敵、吉良上野介ただ一人。」



「当時の願いはもっともだったが、領内の山には木が少なかった。このまま許可しては、薪の値段が暴騰し、つまりは製塩もできなくなる。わしは願いを受けて、早速に木を植えた。10年たってそれは大きくなった。もう大丈夫だから。」



江戸時代前期の武士。播磨国赤穂藩の筆頭家老。元禄15年、赤穂四十七士を率いて吉良邸に討ち入り、吉良義央ほか二十余名を斬殺した。大石らは自ら出頭し、公儀の裁きに処分を委ねた。翌16年、幕府の処断により四十六士は切腹となった。 良雄は諱で、通称は内蔵助。一般にはこの大石 内蔵助の名で広く知られる。

コメント

このブログの人気の投稿

花の慶次の名言

レミー・キルミスターさんの残した言葉【モーターヘッド】1945年12月24日~2015年12月28日