故人が残した名言集【3月21日】

吉沢久子さんの残した言葉【評論家】1918年1月21日~2019年3月21日



「生活を投げやりにするのは生きることへの怠慢。丁寧に大切に毎日の暮らしを積み重ねるのが自分に対する責任。」



「数え上げていくと、毎日がもったいないほど、私に色々なものを与えてくれる。」 



「当たり前の生活ができること、当たり前に自分でご飯を作り、自分で部屋の片づけをし、自分で庭の花に水をやる。そんな当たり前のことができる幸せ。ごく普通の生活の幸せこそ大事にしたい。」



「生活するということは、自分の頭で考えるということ。食事をつくるのも、掃除をするのも、庭で花や野菜を育てるのも、すべて自分で考えるからこそ喜びが生まれてくる。」



「生きることに怠惰になってはいけません。せっかく与えられた『生』というものを、もっと大切にすること。」



日本の評論家・随筆家。東京都江東区深川出身。文化学院文科卒。



田中絹代さんの残した最後の言葉【女優】1909年11月29日~1977年3月21日



「桜の咲くころは、きっと鎌倉の家へ帰ってお花見するからね」

(最後の言葉)



日本の女優、映画監督。本名同じ。旧芸名は田中 錦華。 黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。小津安二郎、五所平之助、溝口健二、成瀬巳喜男、清水宏、木下惠介ら大物監督に重用され、約260本の作品に出演した。



横山エンタツさんの残した最後の言葉【漫才師】1896年4月22日~1971年3月21日


「もう要らん!」

(酒を戻したエンタツに、家人の「(酒を)持ってきましょうか?」と尋ねられ)

(最後の言葉)



大正・昭和期の漫才師・俳優。本名:石田 正見。花菱アチャコとのコンビによって、それまでの「萬歳」に代わる現在の「しゃべくり漫才」のスタイルを発明し、今につながる漫才の形式の基礎を作った。漫才作家秋田實のよき相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。




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