故人が残した名言集【3月8日】
森稔さんの残した言葉【 森ビル初代社長】1934年8月24日~2012年3月8日
「貧しい時代の懐かしい風景にこだわらないほうがいい」
「街は生きている。その呼吸を止めるほうが不自然だ。都市は、いまこの瞬間を生きる人の営みを受け止め、これからのライフスタイルや価値観を実現するものでなければならない。」
日本の実業家。 森ビル初代社長である森泰吉郎の二男であり、森ビルの実質的創業者とされる。森ビル株式会社代表取締役社長、同会長などを歴任した。
谷沢永一さんの残した言葉【 文芸評論家】1929年6月27日~2011年3月8日
「自制心が強いかどうかが、人間評価の最後の最後を決める。」
「僕の持論ですが、人間は狂う動物なんです。集団が戦争していれば個人はまともですが、集団がまともになると個人が狂うんです。」
「恥じることはない。嫉妬は人間の本性なのだ。その中にあって、湧き上がる嫉妬心を少しばかり抑えることができたら、その人物は人間として実に素晴らしい、存在となるであろう。自分の内なる嫉妬心の水位を、少しばかり下げればよいのである。そういう人物のまわりに、おのずから人が集まってくるであろう。」
日本の文芸評論家、書誌学者。関西大学名誉教授。専門は日本文学。
ジョー・ディマジオさんの残した言葉【56 試合連続安打】1914年11月25日~1999年3月8日
「自分の能力を超えたことをやろうとしちゃいけない。だが、絶対に自分の能力以下で行動するな。」
「男でも女でも全力を尽くす者は、何も言わなくても自然にリーダー的存在になる。」
「野球が楽しくなくなったら、それはもう野球でなくなってしまう。」
「私が一生懸命プレーする理由は、私のプレーを見たことのない子供が私を見たとして、その子供を失望させないためだ。」
「あなたが何をしたいか・何を望むかを考え続けていて実行をしないなら、それが達成されることはないだろう。」
「何回経験しようとも、開幕戦には特別な興奮がある。子供の頃、バースデーパーティーを楽しみにするような気持ちだ。何か素晴らしいものが待っていると感じるんだ。」
「モチベーションは他の誰かが与えられるものではない。他者はモチベーションを持つ助けができるが、それは基本的には本人から生まれるものである。そしてそれは、どんな状況でも、いつでも、ベストを尽くすための渇望でなければならない。」
「なぜ1つの家庭の3人の子供がメジャーリーガになれたかというと、お互いを助けあっていて、裏でたくさんの練習をこなしているからだ。我々は一瞬一瞬できることをやってきた。」
「最悪な気分の時には、最も励まなければいけない。他人に落ち込んでいると感じさせてはいけない。」
「5人か6人、野球殿堂入り可能な選手がチームにいるとき、それが優勝するときだ。心配すべきことは、選手たちに休養をしっかり取らせることくらいだね。」
「私は毎日ベストを尽くしている。いつ誰が私のプレーを初めて見るかわからないからね。」
「私はいつもスタンドに一人は私のプレーを見たことがない観客がいる、その人を失望させてはいけないと意識している。」
「ディマジオを見るのが最初で最後の人が必ずいる。その人のためにプレーしているんだ。」
(何故そうまで自分を痛めてプレーするのかと聞かれて)「ジンクスなんて関係ないよ。記録を止めるのは相手のピッチャーなのだから。」
「野球選手は偉大な選手になるために貪欲さを持ち続けなければならない。それが金持ちの家庭から偉大な選手が生まれない理由だろう。」
「私くらい年を取ると、私がしてきたこをの偉大さを讃えてもらうと本当に幸せを感じるんだ。」
「全てのピッチャーは、生まれながらにピッチャーなんだ。」
「ニューヨーク・ヤンキースの選手であることにはホコリを持っている。でも故郷のサンフランシスコに戻ったときは誰よりも幸せと満足を感じるんだ。この街は世界で一番親切な街なんじゃないかな。」
「(ヤンキースのオーナーの)ジョージ・スタインブレナーと向き合って年俸交渉すると、私のプレーの分析結果を見せられて、私は『ジョージ、俺と君は仲間だろ。』と言わなければならなくなる。」
「ヤンキースの選手になれたことに心から感謝したい。」
「連続試合安打を始めるまでは野球は私の血に入り込んではいなかった。毎日ヒットを打つことは、食べること、飲むこと、寝ることよりも重要になった。」
「野球場は私にとって神聖な職場であり、バットも神聖である。」
(何故バットにサインしないのかと聞かれて)「外野手の技術が試されるのは、フェンスに向かって取らないといけない打球が飛んできた時だ。」
MLBの元プロ野球選手。カリフォルニア州マーティネズ出身。ニックネームは「ヤンキー・クリッパー」「ジョルティン・ジョー」。右投右打。 56試合連続安打のMLB記録保持者。
池田満寿夫さんの残した言葉【 芸術家】1934年2月23日~1997年3月8日
「生きた証を残したい」
「破滅するエネルギーで前へ進む」
「能力や才能はそれを認め活用してくれる能力や才能がなければ成り立たない。」
「すべての創造は模倣から出発する。創造が真の意味の創造であるためには、その創造のための模倣が、創造的模倣でなければならない。」
「アートの世界というのは、ある瞬間にものすごく、とんでもなく飛躍するときがある。なぜかといわれても何も誰もわからない。だけど飛躍する作家としない作家がいる。
そこなんだ。
飛躍するときは、破れかぶれなんですよ」
画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動、多才がゆえに“池田芸術”は高い知名度のわりに現在でもなかなか正当に評価されていない。
ヘンリー・ウォード・ビーチャーさんの残した言葉【演説家】1813年6月24日~1887年3月8日
「I never knew how to worship until I knew how to love.」
(愛する方法を知るまでは、崇拝する方法を知りませんでした。)「The soul without imagination is what an observatory would be without a telescope.」
(想像力がない魂は、望遠鏡のない展望台のようなものだ)「日曜日は習慣のあらゆる罪をぬぐい去る海綿だ、と多くの人々は考えてる。」
「主義は設定され、詰め込まれた真理の表皮にすぎない。」
「亡恩の次に堪えがたい最も苦しいことは感謝である。」
「富が文明をつくるのではなく、文明が金銭を生むのである。」
「皮肉屋はよい性質を見ず。悪い性質のみ見逃さない人間である。」
「ポケットに孔がなかったならば、われわれはみんな富者になるに違いない。ポケットには水溜めのようなもので、底の小さな漏口はポケットの上のポンプより悪い」
「『許すことはできるが、忘れることはできない』というのは、結局『許すことはできない』というのと同じことだ。」
「どのように怒ってよいか分からぬ人は、どのようにすれば正しいかも知らない。」
アメリカ合衆国コネチカット州出身の会衆派教会牧師であり、社会改革者、演説家でもあった。奴隷制度の廃止を支持したこと、神の愛を強調したこと、また1875年に姦通罪で裁判に掛けられたことでも知られている。
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