故人が残した名言集【4月25日】
遠藤ミチロウさんの残した言葉【ミュージシャン】1950年11月15日~2019年4月25日
「何も思わずにここまで来たけれど このまま許されるはずはないから 今になにかいやなことが 不吉な何かが必ず起きる」
「おいらは悲しい日本人 西に東に文明乞食 北に南に侵略者 中央線はまっすぐだ」
「世界の果てまで オレをつれてってくれ つぶれていってもいいんだ 失うものは何もない」
「愛していたんだ おまえの下水道 オレのネズミを 放してやるさ」
「壊れていくのは てめえばかり ぬかみそになって オポチュニスト」
「何でもいいのさ 壊してしまえば おまえはいつでも アナーキスト」
「吐き気がするほどロマンチックだぜ」
「変態っていうのは知的なんだっていう認識があったんです。だから僕らにとっては全然違和感ないんですよ」
日本のロックミュージシャン。本名は遠藤 道郎。 福島県二本松市出身。1980年代から1990年代に活動していたパンク・ロックバンド、ザ・スターリンの結成者でありヴォーカリスト。スターリン解散以降はソロ、アコースティックバンドで活動し、還暦を越えても精力的にライブ活動を行っていた。
井上雅博さんの残した言葉【ヤフー創業者】1957年2月12日~2017年4月25日
「今回は売上責任の一本化など明確な狙いがあっての組織変更なのですが、僕はそもそも組織は5年も続いたら意味があろうがなかろうが、変えた方がいいという考えを持っています。」
「変えることにより何かが生まれます。実際、エンジニアの開発組織を統合したことで重複の無駄が見えるようになってきました。僕は組織にベストというものはないと考えています。ひとつのやり方をずっと続けるのではなく、とにかく変えてみること。それに伴って改善の余地も生まれてきますし、人が変われば違う目で見ることもできます。」
「新しい事業プランを考えるのは、僕を含めヤフーの人間にとっては日常の仕事です。だから、これまでは社員に対しても取り立てて発想のための仕組みは作ってきませんでした。しかし、人数も増えたところで少し体系的に取り組もうと、昨年末に登竜門という名の制度をスタートさせました。全社員が応募できる事業プラン・コンテストです。2週間程度の短い募集期間だったのですが、合計888件の応募があり、一次選考、最終選考の結果、何件かの事業化を決めました。」
「インターネットというのは、絶対、利用者に強制できません。強制せずに大勢の人に使ってもらうには、そのサービスの何が面白くて、どこが便利なのか、人々は何を楽しんでいるのか正しく理解することが不可欠です。」
「アメリカでこのサイトが流行っている。韓国では大勢の人がこれを使い始めている。などと聞けば、必ず自分で利用してみます。『多分たいしたことないだろう』と先入観は持ちません。流行っていること自体、必ず何か理由があるはずです。問題なのは、自分が理解できるかどうかです。どうしても面白さがわからなかったら、他の人に尋ねます。」
「ヤフーは創業時から、コストに関してはケチケチでやってきました。稟議書は今でも1万円からです。会社の規模も大きくなったのだから、10万円にしたらという話しも時々出ますが、僕は必要なお金なら1万円だろうが、1億円だろうが要求して使えばいいといっています。ポイントは、稟議という手続きが入ることで、本気度の少ないものは『面倒だな』となる点です。どうしてもやりたい仕事なら面倒な手続きも苦にしないはずです。変えるときは変えますが、変えないことにも意味があります。」
「ヤフーをもう一段、成長させるために、何割かは壊して進まなければならない。」
「ユーザーのためになることをし続けていれば、利益は後からついてくる。」
日本の実業家。ヤフー株式会社元代表取締役社長。ヤフー株式会社創業者。東京都出身。東京理科大学卒業。
田端義夫さんの残した言葉【歌手】1919年1月1日~2013年4月25日
「歌い続けて45年。まだまだ歌いまっせ。これからでんがな、人生は。死ぬまで現役や。」
「私の歌に心がある限り、誰の心の糸も震わすことが出来る。」
日本の歌手、ギタリスト。本名は田畑 義夫。第二次世界大戦前から21世紀初頭まで現役歌手として活躍した。愛称はバタヤン。水平に構えて持つ、アメリカのナショナル・ギター社製エレキギターと威勢のよい挨拶がトレードマークであった。
尾崎豊さんの残した言葉【ミュージシャン】 1965年11月29日~1992年4月25日
「僕はお金のためにロックンロールをやっているんじゃない。僕は僕の歌を聴いてくれて希望を持ってもらえるために歌うんです。僕は傷ついた人たちのために歌いたい。」
「裏切られても信じることから、奪われても与えることから、寂しくても分け合うことから、悲しくてもほほえむことから、明日が平和でなければ誰にも生きる意味がない。心をいつでもかがやかしていなくちゃならない。気をつけてまっすぐ歩いてほしいよ。」
「人生なんて毎日少しずつ自分の心の財産を支払いながら生きていくようなもんだって」
「僕は生きてくこと自体、誰もが意味あることをなしているんだと思うし、そういったものに結論がつかない限り、僕は愛っていうものを信じて歌っていく人間でありたい。」
「人間はなぜ生まれてきたのか、ぼくはなぜ生まれてきたのか、その答えをずっと知りたかった。いま新たに課せられたものは、誰もが背負う痛みや苦しみをひとつずつ言葉にして、本当の音楽を歌い続けていくことだと思う。」
「孤独になる事も、淋しくなる事も、誰にも理解されない事も、それは思うように生きる事の代償なのかもしれない。」
「人ひとりが幸せになるか、不幸になるかは、そばにいる人のちょっとした優しい言葉だったりすると思う。」
「みんな自分をひとつの型にはめることによって安心するってとこが誰しもあると思うんですけど、そういった物の考え方のなかで、型にはめないで、それはひとつの状況に過ぎないって考えたい。」
「結果と過程、どちらが大切だと思う?と聞かれたら、僕は即座に『過程』と答えてしまう。到達する過程で自分や多くの人を裏切ったり、傷つけたりすることは些細なことでもイヤなんです。」
「科学的に証明されているかどうかはわからないけど、どんな形にしろ出会った人の個性とか持ってるものが自分の中に宿るっていう現象があるような気がしていて、僕は今回それを言いたかったんです。誰かと会った時点で確実に自分は変革されている、と。」
「僕自身のプライベートな気持ちを書いているだけなのに、大人への反発、社会への反発を歌っているととられている。それに気づかないでいたと思う。敵をつくるとか、反発するとか、そんなことだけじゃしょうがない。それだけで終わっちゃ何もならない。敵をつくるだけじゃ、かえって自分を追い込むだけだ。もっと違う何か、僕自身が探し続けていることを歌っていきたいんだ。」
「いつも涙を流すとき、この涙がはたして希望の涙なのか、なにかを後悔した涙なのかって自分に問いかけてみる。」
「時には過ちを犯してしまうこともきっとあるだろう。だけど過ちにさえ自分のこの体でぶつかってひとつひとつの物事を自分で解き明かしていかなければ、新しい第一歩は踏み出せないような気がするんだ。そのために傷つくことも多いかもしれない。そのために命を落としてしまうかもしれない。ただ、俺は新しい第一歩のためにこの命をかける。それが俺の生き方だ。笑いたい奴は笑え 俺を信じる奴はついて来い。俺は真実を求め歩き続けるお前らを愛している。」
「ひとりぼっちになると、いつも自分を見失いそうになる。だけど、そんな時自分が本当にどれくらいの愛を持っているかわかるような気がする。みんなは街の中で、どんなものに出会うんだろう。」
「大人になっていくという恐怖感はない。ただ、もっと純粋になりたい、という欲求が強くなってきているんだ。」
「俺は少なくとも、自分自身の真実をつかむために一日一日を生きていきたい。」
「生きること、それは日々を告白してゆくことだろう」
「なんとなく暮らしやすくなった、みたいに思うかもしれない。だけど、そういう暮らしやすさに妥協して、本当に大切なもの、失くしちゃいけないものを、失っていく怖さみたいなものを、僕はいつも感じている。」
「とにかく『真実』を伝えたいだけなんだ。みんなはそんな僕をどれだけわかっているのだろう。そしてみんなに“問題”がどれほど伝わっているだろう。」
「どんなときでも、より劇的でありたい。つまらないと感じることは最大の不幸だと思うから。」
「僕らにとって大切なことは『誰が悪い』じゃなく、『自分たちはどうすべきで、どこへ向かうべきか』なんだってこと。わかってたけど、その答えがみつからなかったから、僕らは敵を作って攻撃することでその場をごまかしてた。そんな気がします。」
「なぜ人間が生まれてきたのか、とか、自分自身の存在する意味、みたいなものを考えてしまう。人ごみの中で、人波に疲れたり、逆にほっとするとか、誰もがそういう気持ちで歩いている。それは結局誰もが日常に追われているに過ぎないんじゃないか、それが果たして本当に何かに向かって生きていることなのか。」
「人生は、きっと自分のしたいことのためにあるんだと思う。だから、時間があると思う人は、まだ何かできると思う人は今のうちにうんとたくさん心の財産を増やしておくといいと思う。そうすれば君が求めているその夢にきっと辿り着ける。僕はそう信じてる。そして、君のためにそう祈って歌い続けるだろう。そして最後に、あの時ステージを降りてからずっと考えてた。今日この日何を言えばいいか。それは、どんな困難にも負けないで、いつまでも夢を捨てないで、君達へ僕からの精一杯の愛情を込めて、いつまでも歌い続けることを約束します。」
「自分で何かやりたいなと思ったとき、やっぱり最初に言葉があった。自分が何かをやろうと思ったというより、何かしなきゃ、何かを言わなきゃって自分を追いつめてきた環境というものがあった。そこでまず最初にあったのは言葉だった。」
「鉄を食え飢えたオオカミよ 死んでもブタには食いつくな」
日本のシンガーソングライター。青山学院高等部中退。血液型B型。身長は公式発表によると178cm。歌手の尾崎裕哉は息子。
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