故人が残した名言集【4月28日】
竹本住大夫(7代目)さんの残した言葉【人形浄瑠璃・人間国宝】1924年10月28日~2018年4月28日
「いつかあっちの世界に行ったら、また先輩たちにお稽古を付けてもらえる」
「六十八年やっても、まだ、浄瑠璃には迷うてる」
「死ぬまで稽古、死んでも稽古やなぁ」
「ええ星の下に生まれたと感謝しとるけど、脳梗塞になったことは残念や。これさえなかったら、あと半年、一年はやれてたかもしれんなぁ」
「人間、やっぱり情でんなぁ」
大阪生まれ。6代目の養子。本名・岸本欣一。1946年、2代目豊竹古靱太夫(のちの豊竹山城少掾)に入門。1960年、9代目竹本文字太夫を襲名、1985年、7代目を襲名、同年、モービル音楽賞(邦楽部門)受賞。1989年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定、2002年、日本芸術院会員、2004年、毎日芸術賞受賞、2005年、文化功労者、2007年度朝日賞受賞、2008年、フランス・芸術文化勲章コマンドゥール受章、2013年、菊池寛賞受賞。2014年2月28日に大阪市内で会見し、同年4月の大阪公演と5月の東京公演を最後に、現役を引退することを表明、2014年5月26日国立劇場小劇場で恋女房染分手綱沓掛村の段のキリを務め、68年におよぶ大夫人生に幕を下ろした。同年文化勲章受章。
斎藤智恵子さんの残した言葉【浅草のゴッドマザー】1926年11月11日~2017年4月28日
「あの子はいいおっぱいしてる。ピンとして、乳首もピンクで、性格は素直でね。現場でちょっと会っただけだけど、そのときに『お世話になります』って頭を下げてくれたわよ」
「美奈子は胸をグイッと張って生きていますよ。誇りをもって『裸』の商売をすればいい」
「小向美奈子ちゃんは良い子よ。あの子はスレてないし、恥ずかしい気持ちを忘れてないから、色気がある。スレたら人間は大胆になるからね」
「何十年前も、いまでも、恥ずかしさは必要。ストリップで商売をする女は、恥ずかしいと思っていなければ色気が出ない。」
「舞台の指導?恥ずかしいという気持ちが色気になる。プロでも、恥ずかしい気持ちがなくなったら色気も出ない。男は、ペロッと見せるより隠したほうが色気があると教育してきました。いつ見せてくれるかなって思わせるほうが通うでしょ。」
「ロック座に出る踊り子の衣装は全部、私が縫っていました。生地を安く買ってきたり、浴衣をこわしたりしてね。踊り子の胸囲、身長とかを計って型紙をとってね。そうしておくと、何度も型紙が使える。安上がりだし、いいものができるから」
「マカオのロック座に行って、仕事をやろうかな。みんなのお針(衣装作り)して、変わった衣装を作りたい。役に立ちたいね。迷惑をかけないで生きたいし」
「女は度胸、男は愛嬌よ」
「下戸の肴(さかな)荒しはダメよ」
「私の最後の願いはね。ビートたけし、いや北野武さんに私の自叙伝を書いてもらうことなのよ」
「皿を嘗(な)めた猫が科(とが)を負うのは世の常なのよ」
「浅草ロック座だけは何とか残ったんです。だまされてばかりの人生ですね」
「人に頭を下げて借金するくらいなら、女は黙って『裸体』で金を稼いだ方がはるかにいいのよ」
「主人が死んだとき(子宮を)とっちゃったから。生理もなくなった。だから男っぽいし、元気なのかな」
日本の実業家。東京都台東区浅草のストリップ劇場であるロック座の元社長、後に会長、名誉会長。昭和中期に「東 八千代」の芸名で踊り子として活動した後、経営者に転向し、日本一といわれる劇場チェーンを築き上げた。その男勝りの性格や様々な武勇伝から「伝説の女傑」「浅草のドン」「浅草のゴッドマザー」とも呼ばれた。
ジャック・ラムジーさんの残した言葉【バスケットボール指導者】1925年2月21日~2014年4月28日
「Winning is more related to good defense than good offense.」
(良いオフェンスよりも良いディフェンスの方が勝利に関わるんだ。)アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。バスケットボールのヘッドコーチとして有名な人物。1996年にNBAの偉大なコーチに選ばれ、「ドクター」の愛称でも呼ばれる。バスケットボール殿堂入りしている。
ヤーノシュ・シュタルケルさんの残した言葉【チェリスト】2013年4月28日
「生徒が何かを望んでいたら、それをすぐに出せるようでないといけない」
ハンガリー出身のチェリスト、音楽教育者。
ブダペストに生まれ、7歳でブダペスト音楽院に入学を許されるほど、幼い頃からその天賦の才能を発揮した。音楽院ではアドルフ・シッファーに師事した。
11歳でソロ・デビュー、翌年ルーマニアのブカレストで演奏会を行い、国外デビューしている。
1945年にブダペスト国立歌劇場管弦楽団およびブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者に就任。また、ピアニストのシェベーク・ジェルジらとピアノ・トリオを結成し、活躍した。
アニマル・レスリーさんの残した言葉【プロ野球選手】1958年9月11日~2013年4月28日
「マウンドは俺の城だし、何をやろうと俺の自由さ。」
アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のプロ野球選手、タレント。アメリカ球界での登録名は「ブラッド・レスリー 」、阪急ブレーブスでの登録名は「アニマル」、日本でタレント活動をしていた時の芸名は「亜仁丸レスリー」。
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