故人が残した名言集【5月13日】

ドリス・デイさんの残した言葉【女優】1922年4月3日~2019年5月13日



「ケセラセラ」

(なるようになるよ)



アメリカ合衆国の女優・歌手。オハイオ州シンシナティ出身。本名はDoris Mary Ann Kappelhoff。ドイツ系。



ジャンボ鶴田さんの残した言葉【最強】1951年3月25日~2000年5月13日



「人生はチャレンジだ!!」



日本のプロレスラー。本名および旧リングネーム:鶴田 友美。三冠ヘビー級王座の初代王者であり、日本人初のAWA世界ヘビー級王者。



武田信玄さんの残した言葉【戦国武将】1521年12月1日~1573年5月13日



「百人のうち九十九人に誉めらるるは、善き者にあらず。」



「晴信(信玄)の弓矢は欲のためではなく、民百姓を安楽にするためだと民に知らせれば、わしが軍を進めるのを待ち望むようになる。」



「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。」



「戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生ず。」



「勝敗は六分か七分勝てば良い。八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる。」



「三度ものをいって三度言葉の変わる人間は、嘘をつく人間である。」



「為せば成る為さねば成らぬ成る業(わざ)を成らぬと捨つる人のはかなき」



「風林火山 – 疾(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し。」



「今後は、一人働きは無用である。足軽を預かっていながら独りよがりの行動をとれば、組の者は組頭をなくし、味方の勝利を失うことになるからだ。」



「大将たる者は、家臣に慈悲の心をもって接することが、最も重要である。」



「晴信(信玄)が定めや法度以下において、違反しているようなことがあったなれば、身分の高い低いを問わず、目安(投書)をもって申すべし。時と場合によって自らその覚悟をする。」



「いくら厳しい規則を作って、家臣に強制しても、大将がわがままな振る舞いをしていたのでは、規則などあってなきがごとしである。人に規則を守らせるには、まず自身の言動を反省し、非があれば直ちに改める姿勢を強く持たねばならない。」



「もう一押しこそ慎重になれ。」



「一日ひとつずつの教訓を聞いていったとしても、ひと月で三十か条になるのだ。これを一年にすれば、三百六十か条ものことを知ることになるのではないか。」



「自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。この心構えさえあれば、道の途中で挫折したり、身を滅ぼしたりするようなことはないはずだ。」



「戦いは四十歳以前は勝つように、四十歳からは負けないようにすることだ。ただし二十歳前後は、自分より小身の敵に対して、負けなければよい。勝ちすぎてはならない。将来を第一に考えて、気長に対処することが肝要である。」 



「人間にとって学問は、木の枝に繁る葉と同じだ。」



「信頼してこそ人は尽くしてくれるものだ。」 



「渋柿は渋柿として使え。継木をして甘くすることなど小細工である。」



「負けまじき軍に負け、亡ぶまじき家の亡ぶるを、人みな天命と言う。それがしに於いては天命とは思はず、みな仕様の悪しきが故と思うなり。」



武将が陥りやすい三大失観。

一、分別あるものを悪人と見ること
一、遠慮あるものを臆病と見ること
一、軽躁なるものを勇剛と見ること



「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」

(辞世の句)



戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎。「信玄」とは法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年11月10日に従三位を贈られる。 甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。

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