故人が残した名言集【5月17日】
ハーマン・ウォークさんの残した言葉【作家】1915年5月27日~2019年5月17日
「時間よりも貴重なものはありません。それは無限に供給されているように思えますが、そうではありません。終わりに近づくにつれ、はっきりと気付くことになるでしょう。」
「あなたが読まない限り、その人生はそっと終わりを告げます。」
「平和とは、戦争の恐怖に基づくものではありません。それは愛に基づくものであるべきものです。」
『ケイン号の叛乱』、『戦争の嵐』、"War and Remembrance"(戦争と記憶)など、著名な小説を数多く世に送り出したアメリカ人作家である。
水谷優子さんの残した最後の言葉【まる子のお姉ちゃん】1964年11月4日~2016年5月17日
「仕事に行きたい。」
(最後の言葉)日本の声優、女優、ナレーター、歌手。生前は青二プロダクションに所属。以前は劇団青年座、ぷろだくしょんバオバブに所属していた。夫はアニメーション演出家の西久保瑞穂。愛知県海部郡出身。大阪府立島本高等学校卒業。愛称はケロリン。
松本恵二さんの残した言葉【レース業界の重鎮】1949年12月26日~2015年5月17日
「この業界で意見を通したければ、やりたい事をしたければ輝き続けろ!!スピードを示し続けろ!!」
「この世界で10年メシを食えて初めて一人前や!
日本のレーシングドライバー。京都府出身。
車谷長吉さんの残した言葉【直木賞作家】1945年7月1日~2015年5月17日
「私小説を書くことは罪深い振る舞いである。悪である。業である。(中略)私のように毒虫のごとき私小説を書いていると、まず一家眷属、すなわち血族の者たちに忌み嫌われている。」
「人間としてこの世に生まれて来たことが、すでにそれだけで重い罪である。私は言葉でそういう思想を語りたかった。すると人は『お前の小説を読むと、それだけで自分が人間であることが、つくづくいやンなるわ。』と私に背を向けるのだった。私はいやンなって欲しかったのである。」
「ほう、あんた地道に働くんが、いやなんやな。人にお祝いの会して欲しい人なんやな。芥川賞が欲しいんやな。 あんたは甲斐性なしの癖に、うまい物喰いたがる。」
「人間性という言葉が、随分よい意味に使われているが、併(しか)し人間性の根幹の一つには卑劣さがふくまれているのではないか。」
「人間の三悪。高い自尊心(プライド)、強い虚栄心、深い劣等感。」
「よい風景とは、歴史があって、いわれがあって、個人的に強烈な思い出がしみ付いた場所である。いくら美しい風景でも、歴史や謂れがないところは駄目だ。」
「人間の偉さ(崇高さ)には、どんなに偉い人であっても限りがあるが、人間の愚かさは底なし沼である。」
「私は若い頃から多くの女と知り合ったが、いまになって見ると、まぐわいをしないで別れた女がなつかしい。まぐわいをした上で別れた女は、私のことを怨んでいるであろうから、なつかしくない。その怨みを、私は藝のこやしにして来たので、罪悪感があるのだ。」
「無論、小説を書くことも、広告と同様、騙しである。しかし広告の騙しは商品を売り付ける手段であるのに対し、小説の場合は、嘘を書くこと、つまり騙しそのものが目的である。その意味で、小説を書くという悪事には救いがない。」
「私小説は自己の存在の根源を問うものである。己の心に立ち迷う生への恐れを問うものである。そうであるが故に、生への祈りなのである。」
「私の遺体・遺物・遺産は、私の死後、誰もこれを継承・使用してはならない。遺物・遺産は凡て、これをゴミとして焼却すること。 人は俗物としていきながら、俗物でしかない自分を俯瞰する包越の視点を持たなければならない。」
(遺言状)日本の作家、随筆家、俳人。本名、車谷 嘉彦。出生時は「くるまたに」だったが、祖父の一存で「しゃたに」と役所に登録されていた時期が長く、2007年、正式に「くるまたに」に戻した。筆名の「長吉」は唐代の詩人李賀にちなむ。妻は詩人の高橋順子、2017年に回想記『夫・車谷長吉』を刊行した。 兵庫県飾磨市出身。
近藤勇さんの残した言葉【新撰組】1834年11月9日~1868年5月17日
「俺は武士よりも武士らしい武士になる!」
「お金で買えぬものは 信用。」
「聞いてならぬものは 人の秘密。」
「笑ってならぬものは 人の失敗。」
「通してならぬものは 我意。」
「繰返してならぬものは 過失。」
「 人にあたえるものは 人情。」
「捨ててならぬものは 義理。」
「忘れてはならぬものは 恩義。」
「井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る。」
「生きようという念が一分でもあっては、どうにもなりませんな。不思議なもので、死ぬ気になると、周りの景色、つまり敵の群れのことですが、その虚が見えてきます。その虚へ突っ込むのです。なんのかんの言っても、その一言ですな。」
「英雄ではない者が真の英雄である。」
「手向かいいたすにおいては、容赦なく斬り捨てる。」
「ながなが御厄介に相成った。」
「只まさに一死をもって君恩に報いん」
「靡他今日復何言
取義捨生吾所尊
快受電光三尺剣
只将一死報君恩」
(敵になびいて言うべきことはない。生きることを捨て義を取ることは、私が尊ぶところである。斬首を快く受け入れよう。一死をもって主の恩に報いるのだ。)(辞世の句)
「孤軍援絶作俘囚
顧念君恩涙更流
一片丹衷能殉節
雎陽千古是吾儔」
(軍が孤立し援軍も絶えて囚われの身となった。主が気にかけてくれたことを思い出すと涙がさらに流れてくる。一面に溢れる忠誠心で節義に殉じる。唐の時代の忠臣 張巡こそが私の同志である。)(辞世の句)
江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜という。慶応4年からは大久保剛を名乗り、後にさらに大久保大和と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天然理心流四代目宗家。
高杉晋作さんの残した言葉【偉人】1839年9月27日~1867年5月17日
「死後に墓前にて、芸妓御集め、三弦など御鳴らし、御祭りくだされ」
「太閤も天保弘化に生まれなば、何も得せずに死ぬべかりけり。」
「生きるか死ぬかは時機に任せよう。世の人が何と言おうと、そんなことは問題ではないのだ。」
「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝をしてみたい」
「後れても 後れてもまた 後れても 誓ひしことを 豈忘れめや」
「友人の信頼の度合いは、人の死や緊急事態、困難の状況の時に分かる。」
「直言実行、傍若無人、死を恐れない気迫があるからこそ、国のために深謀深慮の忠も尽くせるのだ。」
「男児が事を成すには時があるのだ。たとえ市井の侠客と呼ばれても、胸にある一片の素の心は全く変わっていない。」
「人は人 吾は吾なり 山の奥に 棲みてこそ知れ 世の浮沈」
「人は旧を忘れざるが義の初め。」
「世間の人々は、名誉や利益を追って走っている。そんな時代に利益や名誉を捨てる。僕のようなものが他にいるだろうか。僕はたとえ牢で死んでも恨みはない。」
「翼あらば 千里の外も飛めぐり よろづの国を 見んとしぞおもふ」
「同志と共に国を作ろうとしている。曲がった国が真っ直ぐになるのはいつか分からない。その苦労は死んでからじっくりと味わおう。」
「負けて退く人をよわしと思うなよ。知恵の力の強きゆえなり。」
「天賦のかんによって、その場その場で絵をかいてゆけばよい。」
「天地も人も皆気のみである。気を養えば、人間あとは行動に移すのみだ。」
「戦いは、一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ。思案はそれからでいい。」
「先が短いなら短いなりに僕は面白う生きたい。派手な打ち上げ花火を打ち上げて、消えていく…それが高杉晋作の生き方ですき。」
「人間というのは、困難は共にできる。しかし富貴は共にできない。」
「心すでに感ずれば、すなわち、口に発して声となる。」
「苦労する身は厭わねど、苦労し甲斐のあるように。」
「死だなら 釈迦と孔子に追いついて 道の奥義を 尋ねんとこそ思へ」
「国のために家が潰れても、家などは軽いものである。世間が僕を狂っているといっても構わない。」
「これよりは、長州男児の腕前、お目に懸け申すべく」
「今さらに なにをかいわむ 遅桜 故郷の風に 散るぞうれしき 先生を 慕うてようやく 野山獄」
「過ちを改めれば、それは過ちではないのだ。」
「古くから天下のことを行う者は、大義を本分とし、決して他人に左右されることなく、断固として志を貫く。禍福や死生によって気持ちが揺れ動いたりするものではない。」
「真の楽しみは、苦しみの中にこそある。」
「人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし、死地におちいれば、それでおしまいだ。だから、おれは困ったの一言は吐かない。」
「少年の頃、読んだ本に『学問を成すなら世間から利口と思われる人になるな。世間から愚者と思われる人になれ。』とあったので世間から愚者と思われる人になろうと僕は願った。」
「苦しいという言葉だけは、どんなことがあっても言わないでおこうじゃないか。」
「いまの場合、一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義をあらわす。尊王の臣子たるもの一日として安閑としている場合ではない。」
「シャクトリムシのように身を屈するのも、いずれは龍のように伸びるためだ。そのためには、奴隷になっても、下僕になっても構わない。」
「『朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない』という事こそが人の道である。人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない。」
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
(辞世の句)江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。 諱は春風。通称は晋作、東一、和助。字は暢夫。号は初め楠樹、後に東行と改め、東行狂生、西海一狂生、東洋一狂生とも名乗った。他に些々などがある。
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