故人が残した名言集【6月18日】
加藤剛さんの残した言葉【俳優】1938年2月4日~2018年6月18日
「その役柄がどういう生活をしてその場面に出ていくことになったのか。舞台に出てから始まるのではなく、その前の時点でその役柄がどんな動きをしてどんな生活をしていたのかを考えて表現するようにも教わりました。その場面に出る前にどんな生活をしていたのかも、舞台の上で体に出てくる必要がある。つまり、舞台の上でその役柄が生きるということは、出る前もその役として生きていなきゃいけないということなんですよね。そういった役としての奥行きも、役者は表現しないといけないと思っています。」
「僕が具合が悪いから心配だろうけど、いただいた仕事をありがたくちゃんと務めてきなさい。」
(息子へ)(最後の言葉)
日本の俳優。本名は加藤 剛。身長173cm。体重70kg。俳優座所属。 2001年、紫綬褒章受章。2008年、旭日小綬章受章。
樫尾和雄さんの残した言葉【カシオ計算機株式会社代表取締役社長】1966年1月22日~2018年6月18日
「責任は長にあり。」
「『人に喜んでもらえれば、利(利益)は後からついてくる』・・・間違ってはいませんが、仕組みを考えた上での『人に喜んでもらえれば、利(利益)は後からついてくる』なのです。」
「人は仕事をすることで成長するんです。私も常に新たなものに挑戦しています。」
「決断を下すには先を見ることが大切。大体3年先くらいまでですね。それ以上は見ても分かりません。世の中が変化しますから。」
「画期的な技術を入れても売れないなら、それはニーズを読み間違えているんじゃないでしょうか。」
「改良ではダメ。革新と呼べるくらい画期的なイノベーション。この革新を重ねながら変えていくことで製品は長続きするようになる。」
「ゼロから1を作るということは、既成概念からは生まれない。」
日本の実業家。カシオ計算機株式会社代表取締役社長。一般社団法人ビジネス機械・情報システム産業協会理事。
室伏鴻さんの残した言葉【ダンサー】1947年6月14日~2015年6月18日
「僕らという 限りのある過程は 限りのある はかない命は 限りない方法を 生きられるか。」
「ダンスは、上手に構成し、組み合わせたりしても面白くならない。逆に、構成の下手なダンスでも、ダンサーの身体に力があれば見応えのある面白いものになる。」
日本のダンサー・振付家。 東京都に生まれる。
1969年 土方巽に師事。1972年「大駱駝艦」の創立、旗揚げに参加。1974年、舞踏新聞「激しい季節」を編集刊行、同時に女性舞踏グループ「アリアドーネの会」をプロデュース。
ターシャ・テューダーさんの残した言葉【スローライフの母】1915年8月28日~2008年6月18日
「わたしは二つの人生を生きているみたい。ここで暮らす、ただのおばあちゃんのわたしと、みんながすばらしいと憧れるターシャ・テューダーと。それでいいの。これからも両方続いてほしいわ。」
「退職した夫が毎日家にいるのが煩わしいという奥さん達、長年、家族のために一生懸命働いてくれた夫なら、いたわってあげてはどうですか? 打ち込める趣味や活動を、一緒に探してあげることも、必要かもしれません。」
「四十代の終わりに、日本にいったことがあるのよ。友人の息子が、奈良で英語を教えており、その友人から、『息子に会いにいきたいのだけれど、一人では行きたくないので、一緒に行こう』と誘われたのです。日本の小さな普通の家に滞在しました。楽しかったわ。食べ物も、深いお風呂も気にいりました。奈良は良い所だと、そして日本は美しい国だと思いました。木々や庭園、神社やお寺、その他の風景を、今も思い出します。」
「絵を描くのは楽しいです。風景や人物を感じたままに描けばいいの。画家という職業の利点は、神様の気分が味わえること。自分の好きなように世界を造れるんですもの。」
「バーモントの冬は厳しく長いので、忍耐が必要です。でも、この忍耐の先には、いっせいに花開く輝きの季節が待っているの。冬の間、わたしはいつもそのことを考えているわ。辛い時こそ、想像力を枯らさないで。」
「わたしは、勤勉でまじめな典型的なニューイングランド人です。支払いを先に延ばすことなど思いもよらないし、約束は必ず守ります。うそをつくこともありません。でも、楽しくない集まりから逃れたいというような時には、ちょっとぐらい真実を曲げてもいいのよ。退屈した時、山羊はとても便利。『乳しぼりの時間なので』と言って、失礼できるでしょう。」
「わたしには怖いものがありません。死さえ、怖いとは思いません。つまり、人生に悔いがないということなのでしょうね。」
「わたしの絵を気に入ってくださる方は、『創造力が発揮できて楽しいでしょう?』と言うけれど、それは見当違いよ。わたしは売るために絵を描いているの。生活のため、食べて行くため、そしてもっと球根を買うためにね。」
「昼間ちょっと一休みして、動物達も交えておやつを食べる。そんなことで生活はとても楽しくなるわ。」
「家事も仕事も完璧になんて、いくわけがありません。そもそも、わたしには、完璧にこなしているものなんて、ひとつもないわ。ただ、問題が起きたらそれを克服しようとベストを尽くし、仕事では絵の腕を上げようと努力しているだけ。だいたい、世の中に、完璧なものなんて、まずないでしょう。完璧なのは、開花したばかりの花や、生まれたばかりの赤ん坊くらいじゃない。」
「みんな、わたしを理想化して見ています。わたしも人間だということを忘れ、現実のわたしを見ようとしない。マーク・トウェインも言ってるわ。ー人にはみな月と同じように、だれにも見せない裏側がある。」
「庭はわたしの自慢なの! 謙遜なんかしないわ。うちの庭は、地上の楽園よ。」
「私は、一人の時間が好きです。自分勝手だと思われてもいいの。子供が家を出て行き、二度と一緒に住みたがらないと言って淋しがっているお母さん達。ちょっと周りを見回してごらんなさい。やろうと思えばできる楽しいことが、たくさんありますよ。人生、長くはないんですもの。うかうかしていると、何もできないうちに終わってしまうわ。」
「本当に何かをしたいと望めば、きっとうまくいくはずですよ。」
「退屈でつまらないときがあるとしても、暮らしに喜びを見出そうとすれば、きっと暮らしはより良いものになるはずですよ。」
「人生で本当に欲しいものは何なのかよく考えてみたいですね。」
「ほかの人が何をしようと、自分がいいと思うようにすればいいのです。わたしは、クリスマスを思いっきり楽しんできたわ。」
「大切なのは、それを成し遂げるという意志です。」
「自分の周りを美しい考えで満たし、親しい人々に愛と優しさのこもった行動をとることをおすすめします。」
「わたしの若さの源泉は、想像力。みなさんも想像力を枯らさないで。」
「人を喜ばせ、人の役に立ち、自分もおもしろいと思う生き方をして来られたこと、これからもそのように生きていけそうなことを、嬉しいと思います。」
「今が、人生でいちばんいい時だと思います。若い頃は、やりたくないこともやらなければならなかったし、疲れることも、やってもやっても終わらないことも多かったわ。家計のやりくり、税金の支払い、仕事の締め切り、契約の更新といったことのうえに、途中からは、四人の子どもをひとりで育てるという仕事が加わりました。それらのことが、全部なくなり、今は子どもや孫にしてやりたいことをし、好きなように絵を描き、大好きな庭仕事をし、動物との生活を楽しめるのですもの。」
「生きていれば、落ち込むこともあります。状況を好転できると思ったら、ぜひ努力すべきです。でも、変えられないなら、それを受け入れて歩み続けるしかありません。何があっても『生きていることを楽しもう』という気持ちを忘れないで。」
「ユーモアは、人を笑顔にさせ、幸せにし、人の営みを豊かにします。」
「子供は、のびのびとした楽しい子供時代を過ごし、その間に自分で感じ、考え、夢を見、決断し、実験する必要があるのです。」
「最初から恵まれすぎてるより、足りないくらいの方が人生からより多くの喜びを引き出せる、ということもあります。」
「ほかの人が何をどうしようと、自分がいいと思うようにすればいいのです。」
「お祈りはしません。昔から『天は自ら助くるものを助く』と言います。努力とやる気があれば、奇跡を起こせると信じています。」
「動物にも鳥にも、心や感情があることを忘れている人がいるのは、悲しいことです。」
「やりたいこと、学びたいことが、まだたくさんあります。長生きして、生きる喜びを満喫するつもりよ。生きているって、すばらしいと思いませんか。」
「私が心掛けてきたことは、騒音、ごたごた、攻撃的で付き合いにくい人を避けること。自分の経済力に見合った生活をすること。できるだけ自給自足すること。」
「若い頃に戻りたいと思っても、何の役にも立ちません。年を取っても、できることはたくさんあります。新しいことも発見できるはずよ。無理をしないで、今の自分にできることを楽しんではどうかしら。」
「子供達には家の手伝いをよくさせました、責任を果たすのは当たり前という気持ちを持つことは大切だと思います。」
「何かに夢中になるのは大事なことです、何でもいいの。それが人を前に進ませます。」
「今が、人生でいちばんいい時だと思います。若い頃は、やりたくないこともやらなければならなかったし、疲れることも、やってもやっても終わらないことも多かったわ。~中略~ それらのことが、全部なくなり、今は子どもや孫にしてやりたいことをし、好きなように絵を描き、大好きな庭仕事をし、動物との生活を楽しめるのですもの。」
「人は物事の悪い面ばかりを見ようとするけど、それは間違っているわ。この美しい世界を楽しまないなんて馬鹿げているわ。」
「私が子どもたちに教えたことは、礼儀正しくすること、騒がしくしないこと、大人の言うことは聞くこと、手伝いをすること、やりたいことを自分で見つけること、自然を愛し、自然を敬い、動物を可愛がることなどです。本の読み聞かせもよくしました。」
「私は、他の方に『どう生きなさい』とアドバイスするようなものは持ち合わせていませんが、自分がどう生きてきたか、自分がどう生きたいと思っているかという哲学は持っています。」
「私は、ずっと休みなく働いてきました。――欲しい物を手に入れるために。でも、よく見ると、この世界には、夢や希望、不思議なこと、楽しいこと、よい物、美しい物がいっぱいです。それらがなかったら、世界はうら寂しくて仕方ないでしょう。働くことと楽しむことの両方をバランスよくしなければと、私は思います。」
「親が子どもにしてやれることで、とくに大切なのは、子ども時代に楽しい思い出をたくさん作ってやることです。わたしは成功したと思います。」
「みんなが本当に欲しいのは、物ではなくて心の充足です。幸福になりたいというのは、心が充たされたいということでしょう。ちょっと周りを見回してごらんなさい。やろうと思えばできる楽しいことが、たくさんありますよ。」
「朝日の輝きが、風にゆれる枝が、心を満たしてくれる。その喜びを忘れずに生きていきなさい。」
「一生は短いんですもの。やりたくないことに時間を費やすなんてもったいないわ。」
「心は一人ひとり違います。その意味では、人はいつも『ひとり』なのよ。」
「人生は短いから、不幸になってる暇なんてないのよ。」
「家事をしている時、あるいは納屋で仕事をしている時、これまでの過ちや失敗を思い出す時があります。そんな時は、考えるのを急いでやめて、スイレンの花を思い浮かべるの。スイレンはいつも、沈んだ気持ちを明るくしてくれます。思い浮かべるのは、ガチョウのひなでもいいんだけど。」
「老いは、自然の贈りもの。」
「これまでの人生は無駄だったなんて、どうして思う必要があるでしょう。そう思う人がいたら、残り人生を、これまでの分まで楽しんで、と言いたいわ。」
「わたしにとって、人生でいちばん大切なことは、心の充足です。与えられた運命、自分が置かれた環境に、満足して生きることです。」
「わたしは想像の世界で暮しています。もしかしたら、臆病なので、頭を隠して世の中の現実を見ないようにしているのかもしれないわね。でも、それも楽しい生き方ですよ。」
「季節は確実に進み、それぞれの季節に、それぞれの美しさと、やるべき仕事がある。」
「急ぐことがいいとは思いません。わたしは何でもマイペース。仕事も、スケジュールを決めず、納得するまで時間をかけます。」
「無理をしないで、今の自分にできることを楽しんだら。」
「わたしの庭を『コテージガーデン』と呼ぶ人もいるけれど、ただ、好き勝手に植えているだけ。思いついたところに道をつけるので、行き止まりになる小径もあるのよ。」
「価値のある良いことは、時間も手間もかかること。」
「年齢については現実的にならなければ。若い頃に戻りたいと思っても、何の役にも立ちません。歳を取っても、できることは、たくさんあります。新しいことも発見できるはずよ。無理をしないで、今の自分にできることを楽しんではどうかしら。」
「辛抱することは、大きな夢をつかむこと。」
「私は、社会通念より自分の価値観に従って生きるほうを選びました。だから、おもしろくて充実した人生を歩んできたのだと思います。」
「若い人には、挫折や失敗、思い通りにいかないことがあっても、自信をなくしたり、悲観したりしないでと言いたいわ。世の中は動いているんですもの。あきらめてしまったらそれまでよ。それより、世の中にある良いこと、楽しいことをつかむ努力をしてほしいわ。昔から言うでしょう? 何もしなければ、何も生まれないって。」
「私たちは、みな死に向かっていくのよ。でも、決して死を恐れることはない。それより大切なのは、今この時を、精一杯生きること。どんな瞬間にも、生きていることの喜びを感じとること。」
アメリカの絵本画家・挿絵画家・園芸家・人形作家である。 彼女の描く絵は「アメリカ人の心を表現する」絵と言われ、クリスマスカードや感謝祭、ホワイトハウスのポスターによく使われている。
50歳代半ばよりバーモント州の小さな町のはずれで自給自足の一人暮らしを始め1800年代の農村の生活に学び、彼女の住む広大な庭で季節の花々を育て続けるライフ・スタイルは、日本でも注目を集めた。
ジューナ・バーンズさんの残した言葉【夜の森】1892年6月12日~1982年6月18日
「To love without criticism is to be betrayed.」
(相手を批判するということを全然せずに、ただもう愛するということに夢中になっていると、必ず相手に裏切られることになる。)アメリカ合衆国の著作家。1910年代にグリニッジ・ヴィレッジで、さらに1920年代・1930年代にパリでボヘミアン的生活を送りながら執筆活動を続け、20世紀モダニズム英文学の発展に重要な役割を演じた。
小説『夜の森』はT・S・エリオットの紹介にも助けられ、近代小説のカルト的作品となった。
レズビアンをテーマとした描写や独特の文体で今日でも光彩を放っている。
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