故人が残した名言集【6月27日】

金原まさ子さんの残した言葉【俳人】1911年2月4日~2017年6月27日



「転生 三度目の 脂百合ですよ」

(辞世の句)



俳人。東京生まれ。本 名:金原 マサ。

2001年より今井聖主催の『街』同人、2007年、鳴戸奈菜が代表を務める『らん』に「金子彩」の筆名で入会。2010年、第三句集『遊戯(ゆげ)の家』を99歳で出版、「春暁の母たち乳をふるまうよ」「青蜥蜴なぶるに幼児語をつかう」など、年齢を感じさせない感性が「99歳の不良少女」の惹句とともに注目される。

100歳になって「金原まさ子百歳からのブログ」をはじめ、ほぼ毎日1句を更新。2013年2月、ブログでの発表句「エスカルゴ三匹食べて三匹嘔(は)く」などを収めた第4句集『カルナヴァル』、4月にエッセイ集『あら、もう102歳』を出版。2013年9月16日、敬老の日にちなんでテレビ朝日『徹子の部屋』にゲスト出演、自身の半生や自由な心境を語った。2014年、句集『カルナヴァル』で第69回現代俳句協会賞特別賞を受賞。



アルビン・トフラーさんの残した言葉【作家】1928年10月4日~2016年6月27日



「多くの人々は、我々の知っている世界が際限なく続いていくと考えている。現状に安心しきっていて、少しでも未来のことなど考えるのはめんどうだ、と思っている。自分達がまったく今と違った暮らし方をするなどということは、想像することもできないのだ」



「これからの生産方式は、工場やオフィスに集中した、何百万という職場を、再び以前の場所へ戻そうとしている。つまり、これからは『家庭』が、仕事場になるのだ」



「現代社会は決して技術の過剰に悩んでいるのではなく、その至らなさに悩んでいるのだ」



「変化は、人生にとって必要不可欠なだけではない。変化こそが人生なのだ」



「いかなる文化も、広がった分だけ薄くなる」 



「未来を読めない人間は、学ばない人間ではなく、学び方を知らない人間だ」



アメリカの評論家、作家、未来学者。

妻のハイジ・トフラーも作家であり未来学者である。晩年のトフラーは妻とともにカリフォルニア州ロサンゼルスのベル・エア地区に在住。ともにアメリカ国防大学教授、国際連合女性開発基金米国委員会の共同議長を務めている。



トーベ・ヤンソンさんの残した言葉【ムーミン】1914年8月9日~2001年6月27日



「I own everything that I see and everything that pleases me. I own the entire world.」

(自分できれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。その気になれば、 世界中でもね。)

(スナフキン)



「人の涙をもてあそんだり、人の悲しみをかえりみない者が涙を流すなんておかしいじゃないか。」

(スナフキン)



「One can never be truly free if one admires others too much.」

(だれかを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は得られないんだよ。)

(スナフキン)



「大切なのは、自分のしたいことを、自分で知ってることだよ。」

(スナフキン)



「Everything gets so difficult if you want to own things. I just look at them – and then when I continue on my way I can remember them in my head. I prefer that to dragging a suitcase.」

(なんでも自分のものにして、持って帰ろうとすると、むずかしいものなんだよ。ぼくは、見るだけにしているんだ。そして立ち去る時は、それを頭の中へしまっておくのさ。ぼくはそれで、かばんをもち歩くよりも、ずっとたのしいね。)

(スナフキン)



「あんまり大袈裟に考えすぎない様にしろよ。何でも大きくしすぎちゃ駄目だぜ。」

(スナフキン)



「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ。」

(スナフキン)



「みんなに騒がられて、偉くなったように思ってはいけないよ。」

(スナフキン)



「おだやかな人生なんて、あるわけがないですよ。」

(スナフキン)



「この世にはいくら考えてもわからない、でも、長く生きることで解かってくる事がたくさんあると思う。」

(スナフキン)



「Today we must do something very special, for it will be a glorious day.」

(今日、ぼくらは、とびっきり特別なことをしなくっちゃ!だって、すばらしい天気になりそうだもの。)

(スナフキン)



「いつも優しく愛想良く、なんて、やってられないよ。理由はかんたん、時間がないんだ。」

(スナフキン)



「人の目なんか気にしないで、思うとおりに暮らしていればいいのさ。」

(スナフキン)



「だめだよ。僕は孤独になりたいんだ。来年の春、また会おう。」

(スナフキン)



「ぼくは、あっちでくらしたり、こっちでくらしたりさ。今日はちょうどここにいただけで、明日はまたどこかへいくよ。テントでくらすって、いいものだぜ。きみたちは、どこかへ行くとちゅうかい?」

(スナフキン)



「何か試してみようって時にはどうしたって危険が伴うんだ。」

(スナフキン)



「眠っているときは、休んでいるときだ。春、また元気を取り戻すために。」

(スナフキン)



「ぼくたちは本能にしたがって歩くのがいいんだ。ぼくは磁石なんか信用したことがないね。磁石は方角にたいする人間の自然な感覚を、くるわせるだけさ。」

(スナフキン)



「人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。その人にはその人なりの考えがあるからね。」

(スナフキン)



「自由が幸せだとは限らない。」

(スナフキン)



「僕は自分の目で見たものしか信じない。けど、この目で見たものはどんなに馬鹿げたものでも信じるよ。」

(スナフキン)



「いずれどっかへいくだろうさ…。それともどこへもいかないのかもしれないぜ…。どっちでもいいさ。このままで、とてもたのしいじゃないか。」

(スナフキン)



「自然を感じるだろ…?強い風の前に立って自分達に向かって進んでくる雨を感じるのはなんて素晴らしいんだ。」

(スナフキン)



「生きるっていうことは平和な事じゃないんですよ。」

(スナフキン)



「あしたも、きのうも、遠く離れている。」

(スナフキン)



「その奥さん、親戚は多いし知り合いも沢山いたんだ。でもね、言うまでもなく『知り合いが沢山居たって友達が一人も居ない』って事は有り得るんだよ。」

(スナフキン)



「たとえ作品が壊れてしまったとしても、作ったときの感動は消えることはないんだ。」

(スナフキン)



「世の中にはね、思い通りになってくれない相手の方が多いんだよ。おべっかばかりを使って友達になろうとするやつも同じくらい多い。僕はそんなやつは大嫌いさ。」

(スナフキン)



「僕が探しているのは、おせっかいされないことさ。」

(スナフキン)



「孤独になるには、旅に出るのがいちばんさ。」

(スナフキン)



「それはいいテントだが、人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。すててしまえよ。小さなパンケーキ焼きの道具も。ぼくたちには、用のなくなった道具だもの。」

(スナフキン)



「生き物にとって自然に振る舞うというのはとっても大事なことなんだ。」

(スナフキン)



「僕は物心がついたときからたった一人で旅を続けてきた。多分、これからもそうするだろう。それが、僕にとっては自然なことなんだ。」

(スナフキン)



「君たちも大人になればわかるさ。ある意味で、大人は子どもよりももっと子どもみたいになることがあるんだよ。」

(スナフキン)



「たまには休むのもひとつの仕事じゃない?」
(スナフキン)



「僕は大嫌いなやつがひとりだけいるんだ。あの公園番さ。べからず、べからず、と書いてある札なんか全部引っこ抜いてやるぞ!」

(スナフキン)



「運命のドアも玄関のドアも開ける鍵穴は小さいものだよ。」

(スナフキン)



「いざ泣こうとすると、泣けないことってあるだろ?」

(スナフキン)



フィンランドのヘルシンキに生まれたスウェーデン語系フィンランド人の画家、小説家、ファンタジー作家、児童文学作家である。

15歳で政治風刺を中心とする雑誌『ガルム』の挿絵を描き始める。10代から20代にかけてはストックホルムの工芸専門学校、ヘルシンキの芸術大学、パリの美術学校などへ通った。代表的なキャラクターのムーミン・トロールは、小説としての『ムーミン』シリーズの執筆よりも早く1944年頃から『ガルム』誌に挿絵として登場する。1966年に国際アンデルセン賞作家賞、1984年にはフィンランド国民文学賞を受賞。



伊達政宗さんの残した言葉【独眼竜】1567年9月5日~1636年6月27日



「人がこの世へ生まれて百万長者も、最後に及んで要する所は、方六尺の穴一つ、戒名を刻んだ石碑一つで、家も、倉も、金も、地所も、妻も、子も、すべてを残して、死出の旅路をただ一人辿る。曾(かつ)て我が者と思ったもの、一として我に伴うはない。我は客人であったのである。」



「わきて釣りには他念なきものなり。太公望、おもしろがりたるも道理かな。罪も報(おくい)も後の世も忘れはてておもしろやと、げにさもあらずるものを。」



「仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり。何にても、其の主の勝手に入らずば、悪しき料理など出して、差当り虫気などあらば、気遣い千万ならん。」



「今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申すがよし。」



「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である。」



「気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば、何の苦しみもなし。」



「朝夕の食事は、うまからずとも褒めて食ふべし。元来客の身に成れば、好き嫌ひは申されまじ。」



「大事の義は人に談合せず、一心に究めたるがよし。」



「仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。智に過ぐれば嘘を吐く。信に過ぐれば損をする。」 



「物事、小事より大事は発するものなり。油断すべからず。」



「まともでない人間の相手を、まともにすることはない。」



「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く」

(辞世の句)



出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。 幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。

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