故人が残した名言集【7月2日】
リー・アイアコッカさんの残した言葉【フォード・クライスラー】1924年10月15日~2019年7月2日
「人を見抜くのがうまくても、ちょっと会っただけでは絶対に見抜けない資質がふたつある。
ひとつはその人物が怠け者であるかどうか、ふたつ目は決断力があるかどうか。
人間の腹の中に燃える炎と決断を迫られたときの機転とは、どんな心理テストによっても計算できない。」
「クライスラーよりも良いクルマがあると考えるなら、そちらをお買いください。」
「リーダーシップとは模範を示すことである。」
「経営とは、人々をやる気にさせること以外の何ものでもない。」
「秘訣は、繁栄が向こうからやってくるまで絶対に死なないことだ。」
「利益しか生まないビジネスは、むなしいビジネスである。」
「商品が良ければ、優れたマーケッターである必要はない。」
「あらゆる商売は、人間、商品、利益の3つ。その中でも人間が最も大切。」
「不可能な仕事を投げ出すのは、決して不名誉なことではない。」
アメリカの自動車製造会社、フォード社の元社長であり、その後クライスラー社の会長も務めた。
桂歌丸さんの残した言葉【落語家】1936年8月14日~2018年7月2日
「まだまだ覚えたい話もあるし、落語を引退する気はない。80歳になったらもっと勉強を始めようと思う。笑点のメンバーが上納金をくれるみたいだしね(笑)」
「私たち落語家は、噺でお客さんに楽しんでもらう商売です。肝心なのは、お客さんの頭の中に情景を浮かばせること。欲を言えば、その情景に色をつけて届けたい。」
「いろんな人に言われます。70を過ぎてまで、どうして苦労して新しい噺を覚えるのかって。そりゃあ覚えも悪くなっていくし、挑戦し続けるのはしんどい。でも、最期に目をつむった時に楽な気持ちでありたいんです。『ああ、あの噺もできたのに』なんて後悔しても遅いでしょ。」
「とにかく陽気な噺でお客さんを笑わせるのが一番だと。そういう素直な気持ちになると、不思議と受けるんですね。」
「薄情な人間には薄情な落語しかできない。人情味のある人だから、人情味のある芸ができる。まさに『芸は人なり』なんです。」
「ブームっていうのは必ず落ちる時がきますからね。ブームの時に責任を持たなきゃいけないのは、我々噺家です。上がっていくときは簡単ですが、落ちかけた時いかに長く水平に保ち続けられるか。落語を残すのも噺家の責任、落語のお客様を残すのも噺家の責任なんです。」
「ある種、いい加減にやることは必要。いい加減は『良い加減』ですからね。」
「若い時に苦労をしろ。何年か先に振り替えった時、その苦労を笑い話にできるように努力するんだ。」
「褒める人間は敵と思え。教えてくれる人、注意してくれる人は味方と思え。」
「ニ十歳を過ぎた人間にモノを教えることは何もない。ニ十歳を過ぎた人間は大人だ。ニ十歳を過ぎたら自分で気づくよりほかない。」
「その道が広くなるか狭くなるか。平らな道かデコボコ道か。それは自分の歩き方次第。ことによると、途中で土砂崩れにあうかもしれません。でも、わたしにはこの道しかないんです。」
「どうしたら話がうまくなるのか。逆説的ですが、人の話を聞くことです。人の話を理解しようと努めれば、自分にない人の性質や発言の真意を想像するでしょう。ひいては聞き上手が話し上手になるんです。」
「人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや。」
「修業は一生涯に及びます。ですから、辛抱もまた一生涯ということです。」
日本の落語家。位階は従五位。勲等は旭日小綬章。本名は椎名 巌。 公益社団法人落語芸術協会会長、横浜にぎわい座館長などを歴任した。
エリ・ヴィーゼルさんの残した言葉【作家】1928年9月30日~2016年7月2日
「The good news is that the moment you decide that what you know is more important than what you have been taught to believe, you will have shifted gears in your quest for abundance. Success comes from within, not from without.」
(良いニュースは、あなたが知っているものがあなたが信じていることを教えられたものより重要であると決める瞬間、あなたが多量の探求においてギアを移しただろうということです。成功が訪れます、外からではなく内から。)直訳
「ある人に感謝の気持ちがない場合、その人の人間性には何かが欠けている。一人の人間は感謝に対する態度でほとんど定義されうる」
「無関心は反応ではないのです。無関心はすべての終わりで、常に敵の味方です」
「愛の反対は憎しみではない。無関心である」
「人々の無関心は常に攻撃者の利益となる」
ハンガリー出身のアメリカのユダヤ人作家。自らのホロコースト体験を自伝的に記し、1986年にノーベル平和賞を受賞した。ボストン大学教授。
大竹省二さんの残した言葉【写真家】1920年5月15日~2015年7月2日
「おせば写る写真。プロにのこされたのは哲学。」
日本の写真家。静岡県出身。1992年(平成4年)日本写真協会功労賞を受賞。主な写真集に「遙かなる詩」「ファミリーヌード」などがある。
人物を撮影した写真が中心である。特に女優など女性のポートレート写真が多い。
1992年日本写真協会功労賞を受賞。2003年、二科会写真部理事長・創立会員となる。
ダグラス・エンゲルバートさんの残した言葉【マウスの父】1925年1月30日~2013年7月2日
「人が成熟する速度は、その人がどれだけ恥に耐えられるかに比例する。」
アメリカ合衆国の発明家で、初期のコンピュータやインターネットの開発に関与した。
特に、SRIインターナショナル内の Augmentation Research Center (ARC) で行ったヒューマンマシンインタフェース関連の業績で知られており、そこでマウスを発明し、ハイパーテキストやネットワークコンピュータやグラフィカルユーザインタフェースの先駆けとなるものを開発した。
アーネスト・ヘミングウェイさんの残した言葉【老人と海】1899年7月21日~1961年7月2日
「You can’t get away from yourself by moving from one place to another.」
(あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない。)「The world is a fine place and worth the fighting for.」(この
世は素晴らしい。戦う価値がある。)「Now is no time to think of what you do not have. Think of what you can do with that there is.」
(今はないものについて考えるときではない。今あるもので、何ができるかを考えるときである。)「Every day is a new day.」
(とにかく、毎日が新しい日なんだ。)「As you get older, it is harder to have heroes, but it is sort of necessary.」
(年を重ねると、ヒーローを見つけるのがより難しくなるんです。でも、本当は、年を重ねた時こそ、必要みたいです。)「In order to write about life, first you must live it!」
(人生について書きたいなら、まず生きなくてはならない。)「What is moral is what you feel good after and what is immoral is what you feel bad after.」
(善とは何か。後味の良いことだ。悪とは何か。後味の悪いことだ。)「The writer’s job is not to judge, but to seek to understand.」
(作家の仕事とは、判断を下すことではなく理解しようとすること。)「My aim is to put down on paper what I see and what I feel in the best and simplest way.」
(私のねらいは、見たことや感じたことをもっともうまく単純に書くことだ。)「I like to listen. I have learned a great deal from listening carefully. Most people never listen.」
(私は話を聞くのが好きである。注意深く聞くことで、多くを学んだ。だが、聞こうとしない者は多い。)「The best way to find out if you can trust somebody is to trust them.」
(誰かを信頼できるかを試すのに一番良い方法は、彼らを信頼してみることだ。)「Never to go on trips with anyone you do not love.」
(愛していない人間と旅に出てはならない。)「There is no friend as loyal as a book.」
(書籍ほど信頼できる友はいない。)「The real reason for not committing suicide is because you always know how swell life gets again after the hell is over.」
(自殺しない本当の理由、それは地獄が終われば、人生がどれほど素晴らしいものになるかを常に知っているからである。)「Happiness in intelligent people is the rarest thing I know.」
(知的な人々の中に幸福を見いだすことは滅多にない。)「Man is not made for defeat. A man can be destroyed but not defeated.」
(人間は、負けるように造られてはいないんだ。殺されることはあっても、負けることはないんだ。)「To be a successful father there’s one absolute rule: when you have a kid, don’t look at it for the first two years.」
(善き父には絶対的なルールが一つある。子供をもったとき、最初の2年は干渉しないことだ。)「Wars are caused by undefended wealth.」
(戦争は、守られていない富によって引き起こされる。)「Never think that war, no matter how necessary, nor how justified, is not a crime.」
(いかに必要であろうと、いかに正当化できようとも、戦争が犯罪だということを忘れてはいけない。)「But in modern war you will die like a dog for no good reason.」
(しかし現代の戦争において、君はさしたる理由もなく犬のように死ぬことになろう。)「女には本当に損な時がある。男に良くしてやって愛していることを見せれば見せるほど、それだけ早く、男は飽きてしまうのだから。」
「男はしばしば一人になりたいと思う。女も一人になりたいと思う。そしてその二人が愛し合っているときは、そういう思いを互いに嫉妬するものだ。」
「何と多くの人が財布の中身を考え、他人の思惑を考え、家庭を考えて、つまらない人生に甘んじてしまうことか。くよくよ考える人間は、はじめから運に見放されており、勇気なんて滑稽にしか思えず、才能があっても活用されずに終わるのだろう。挙げ句のはては、不平不満の虜になるのがオチである。」
「心の底からやりたいと思わないなら、やめておけ。」
「我々はいつも恋人を持っている。彼女の名前はノスタルジーだ。」
「『これをやりにおれは生まれてきた』と思えることだけを考えていればよい。」
「運はいろんな形をして現れる。とすれば、どうしてそれがわかる?」
「一人の女しか愛さない男は、しばしばもっとも幸福な生活を送るが、死ぬときはもっとも孤独な死に方をする。」
「窮境の中でこそ、潔い態度を。」
「氷山動きの持つ威厳は、それが水面上に8分の1しか出ていないことによるのだ。」
「年寄りになったからって、賢くなるもんじゃありませんよ。用心深くなるだけですな。」
「釣れないときは、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。」
「狩猟のルール、それは自然の掟以外にはない。」
「二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない。」
「宗教は人間の心をしびれさせる阿片である。音楽もそうである。経済学も、成功も、酒はもちろん、ラジオも、賭博も、野心も優れた人の阿片である。だが最高の阿片はパンである。そのために人間は見境もなくわめき立て、奪い合う。」
「知的な人々の中に幸福を見いだすことは滅多にない。」
「友情の基礎を作るには、まず女と恋をしなければならない。」
「ぼくは元来、あけっぴろげの単純な人間を信用しないことにしている。ことにやつらの話が、すじみち通ってる場合はなおさらだ。」
「猫は絶対的な正直さを持っている。」
「オールがあるかぎり、舵の柄と棍棒があるかぎり、おれは最後まで闘ってやるぞ。」
「人間の価値は、絶望的な敗北に直面して、いかにふるまうかにかかっている。」
「人間は、負けるように造られてはいないんだ。殺されることはあっても、負けることはないんだ。」
「善き父には絶対的なルールが一つある。子供をもったとき、最初の2年は干渉しないことだ。」
「しかし現代の戦争において、君はさしたる理由もなく犬のように死ぬことになろう。」
「わが人生は、ほんの一行で要約できるだろう。そう、私は生きることを十分に楽しんだと。」
「ただ動いているだけでは、行動とは言えない。」
アメリカ合衆国出身の小説家・詩人。ヘミングウェイによって創作された独特で、シンプルな文体は、冒険的な生活や一般的なイメージとともに、20世紀の文学界と人々のライフスタイルに多大な影響を与えた。
ヘミングウェイは、ほとんどの作品を1920年代中期から1950年代中期に書き上げて、1954年にノーベル文学賞を受賞するに至った。
アメリア・イアハートさんの残した言葉【伝説の女性飛行士】1897年7月24日~1937年7月2日
「Never do things others can do and will do if there are things others cannot do or will not do.」
(他の人ができることを決してしてはいけません。他の人ができないこと、しないことがあるなら、それをしなさい。)「たくさん行い、見て、感じるほど、もっと多く行動することができるようになるし、ひいては家庭、愛、そして友情への理解などといった一番大事なことに対する感謝の念がより純粋なものになる。」
「やると決めたら、思い切ってやることよ!ぐずぐずしてたら自分が損するだけじゃない。人生は短いの。さあ、勇気をだして!」
「一番難しいのは行動しようと腹をくくること。あとはただ粘り強さの問題だ。」
アメリカの飛行士。1927年のチャールズ・リンドバーグの快挙に続き、女性として初めての大西洋単独横断飛行をしたことから、ミス・リンディの愛称がある。
知的かつチャーミングな女性であったため、当時から絶大な人気があり、彼女の名前を冠された商品も多岐にわたっていた。これらは出版人であった夫のジョージ・パットナムの協力と手腕であったとされる。
最期のフライトも、7月4日の国民的祝日のアメリカ独立記念日に米国本土到着を計画したもの、との見方がある。
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