故人が残した名言集【7月25日】
早川和男さんの残した言葉【建築学者】1931年5月1日~2018年7月25日
「確かに大地震である。だが、それを『大災害』にしたのは、このように脆弱な都市にしてきた行政にあるのではないか。」
(阪神淡路震災直後の寄稿)日本の建築学者、神戸大学名誉教授。専門は住居学。
奈良市出身。京都大学工学部建築学科卒業。西山夘三に師事。
1973年「都市開発における空間価値の研究」で京都大学工学博士。
カルロ・ベルゴンツィさんの残した言葉【テノール歌手】1924年7月13日~2014年7月25日
「私は歌っているのではありません。ただ呼吸をしているだけです」
イタリアのテノール歌手。その美声を売り物として、特にヴェルディ作品の演奏を多く手がけたテノール歌手である。
ポレージネ・パルメンセ生まれ。アリゴ・ボーイト音楽院を卒業し、1948年バリトン歌手としてオペラでの活動を開始。
ポレージネ・パルメンセ生まれ。アリゴ・ボーイト音楽院(パルマ)を卒業し、1948年バリトン歌手としてオペラでの活動を開始。
しかし声の変化に気づき、改めて研鑚を積んで51年、パリでアンドレア・シェニエ(ジョルダーノ作曲、タイトル・ロール)を歌いテノールとして再デビューに成功。
評判を高めて53年ミラノ・スカラ座、56年にはアメリカ・メトロポリタン歌劇場にそれぞれデビューを果たし、スターの地位を確立した。
古賀政男さんの残した言葉【作曲家】1904年11月18日~1978年7月25日
「小学校時代の私は英才ではなかった。ただ私は『驚く』という才能があった。」
「歌の裏の意味を考えてあげるのがメロディーをつける人の責任ですね。」
遺書
<昭和53年7月23日>今宵も又、ナツメロ大会を放送している。
私の歌は、いつまで繰り返されるのだろう。
私の歌の好きな人はみんな悲しい人達ばかりだ。
早くこんな歌は唄われなくなる日が来ると好い。
みんなハッピーになって欲しい。
日本人が、明るく楽しく愉快に暮らしてゆける時代が来ると好い。
悲しみなんかもう沢山だ。
戦争の傷もピカドン(原爆)の慟哭も、早く、早く消えろ。
そして古賀メロディも早く去れ。
私も早く消えたい。
この世から、日本から、 誰かがきっと、明るいハッピーをもたらすだろう。
みんな幸せになって欲しい。
私の願いはこれだけだ。
しかし、私はもう秋の蝉だ。
声もなく、只沈黙を守って、ジッと樹にしがみついているだけだ。
霜が降りて、私は土の中で、奥深くもぐってゆくばかりだ。
古賀政男 拝
(遺書)昭和期の代表的作曲家であり、ギタリスト。国民栄誉賞受賞者。
栄典は従四位・勲三等・瑞宝章・紫綬褒章。明治大学商学部卒業。本名、古賀正夫。 少年時代に弦楽器に目覚め、青年期はマンドリン・ギターのクラシック音楽を研鑽しつつ、大正琴を愛した。
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