故人が残した名言集【8月2日】

古橋廣之進さんの残した言葉【フジヤマのトビウオ】1928年9月16日~2009年8月2日



「あきらめず、へこたれず、魚になるまで、水かきがつくまで泳ぐことだ。」



日本の水泳選手であり、スポーツ指導者。日本大学名誉教授。

第二次世界大戦終了後の水泳界で次々と世界記録を打ち立てて「フジヤマのトビウオ」の異名を取った。



赤塚不二夫さんの残した言葉【漫画家】1935年9月14日~2008年8月2日



「最後につじつまがあってりゃ何やってもいいんだよ。」



「自分だけの小さな世界から抜けられないヤツは好奇心がないんだ。オレなんか、世の中の知らないことにものすごく好奇心をもっていたから、毎日がおもしろかった。」



「差別っていうのはさ、言葉じゃなくて心の中にあるんだよな。『こういうことを言わないようにしようぜ』って言いながら、心の中で思ってることが最低なんだ。」



日本の漫画家。 小学六年生の時、手塚治虫の『ロストワールド』に大いなるショックを受け、漫画家を志す。

1956年に貸本漫画『嵐をこえて』でデビュー。

その後赤塚よりも3歳年下の石森章太郎を慕い、トキワ荘に入居。



加藤清正さんの残した言葉【肥後の虎】1562年7月25日~1611年8月2日



「どこに陣を取っても、清正に知らせずに、乱暴狼籍に身分の低い者をこき使う者があったならば、その主人の責任として成敗を加える。この旨、下々人足以下の者にまでよくいい聞かせよ。これからは、いかに勇敢に戦っても、掟に従わなかったら、何事も不用になる。」



「奉公の道に油断してはならない。朝は辰刻(7時~9時)に起きて兵法を使い、飯を食い、弓を射、鉄砲を撃ち、馬に乗るがよい。武士の嗜みのよい者には、とくに昇進させるだろう。」



「普段の友達づきあいは一人くらいにしておくといいだろう。ただし、武芸を催す場合には、多人数集まってやるがよい。」



「いままで人に詰め腹を切らせたことはないが、今度不心得者があったならば、八幡大菩薩、神かけて詰め腹も切らせようぞ。」



「上一人の気持ちは、下万人に通ずる。」

(上の者が油断していれば、部下も全員油断するという趣旨)



「鉄砲隊を率いる鉄砲頭は、日頃申しつけたように、鉄砲を役に立て、その次は、槍、太刀、刀の衆へ引き継ぎ、その後の展開に注意し、後詰めをすることが肝要である。一人一人の突出した働きは、武者の中にははいらぬ。」



「上の者も下の者も勤番や普請の際に、身体をよく動かして手足を汚すことをしかねる者があったとしたら、臆病者と認め、成敗も加えようぞ。」



「乱舞は一切停止する。太刀や刀をとれば人を斬ろうという心が起こるのが、武士として当り前のことであるから、武芸のほかにやたらに刀を抜いて乱舞するような者に対しては、切腹を申しつける。」



「学問に精を入れよ。兵法の書物を読み、忠孝の心がけを持つことが肝要だ。詩や連歌や和歌などをみだりに作ったり読んだりしてはならない。心の中に華奢で風流な手弱いことばかりをかけていたならば、いかにも女のようになよなよしくなってしまうものだ。武士の家に生まれたからには、太刀や刀をとって死ぬことこそ本当の道である。」



「軍の礼法として侍が心得ねばならないのは、いらないところに儀礼を好んではならないことである。」



「衣類は木綿・紬(つむぎ)などを用いよ。衣類に金銀を費やすのは、けしからんことだ。平素から身分相応に武具を嗜み、人を扶持し、軍用のときには、金銀を惜しみなく使うと良いだろう。」



「普段から武士道の心がけを練っていなかったならば、いざという場合に潔く死ぬことはできにくいものだ。よくよく心を武に刻むことが肝要である。」



「汝らは等しく予が股肱(ここう/頼りになる家来)、腹心なり。使うところはその器に従うのみである」

(辞世の句)



「上一人の心、下万民に通ず」

(辞世の句)



安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助。

熊本では清正公さんと呼ばれて親しまれている。

豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。 秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となる。

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