故人が残した名言集【8月20日】
ウリ・アブネリさんの残した言葉【作家】1923年9月10日~2018年8月20日
「私は自身をポスト・シオニストと定義します。私はシオニズムの重要性を認めるが、もう終わった歴史の章だと思います。そして我々は前進する必要があります。」
「私は100%無神論者です。そして私はイスラエルとパレスチナの闘いがますます多くの宗教的性格を持っていると心配しています。」
「あなたは私とテロについて話すことはできない。私はテロリストだったからです。」
イスラエルの政治家、作家。平和運動「グーシュ・シャロームGush Shalom」創設者。
ジェリー・ルイスさんの残した言葉【喜劇俳優】1926年3月16日~2017年8月20日
「才能を発揮し、エネルギーを使い続ければ、常に若々しくいられる。ほとんどの人は、エネルギーも必要とせずに行動し、心と体を委縮させてしまう。」
「僕の見解では失敗する人と成功する人の違いは、物事を『だいたい』正しくやるか、『きっちり』正しくやるかだ。」
「人生で成功するために大切なのは、才能やチャンスなどではなく、実のところ集中力と忍耐力しだいだ。」
アメリカ合衆国の喜劇人、俳優、映画プロデューサー、脚本家、映画監督。本名、ジョーゼフ・レヴィッチ。 スラップスティックなユーモアが持ち味で一時代を築く。
筋ジストロフィー患者の社会参加と治療費捻出、ならびに筋ジストロフィー協会の活動の啓蒙を念頭において1966年から「レイバー・デイ・テレソン」と題したチャリティーコンサートを開催し、全米にテレビ中継。2010年まで45年間担当した。
B.K.S.アイアンガーさんの残した言葉【アイアンガーヨーガ創始者】1918年12月14日~2014年8月20日
「Live happily, and die majestically. It means a happy death.」
(幸せに生きなさい。そして、堂々と死を迎えなさい。それは幸せな死だ。)
インドの人物で、アイアンガーヨーガの創始者。数々のヨーガ修行や哲学の決定版となる本を著作し、全世界では数百万人ほどの生徒や信奉者がいる。
アイアンガーは1952年に世界的に有名なヴァイオリニストのイェフディ・メニューインと出会い、友人になった。その後、メニューインの手配により、ロンドン、スイス、パリなど世界各地でヨーガを教えることになった。
そして1966年にアイアンガーは『ハタヨガの真髄』 (Light on Yoga) を著作し、それが国際的なベストセラーとなった。次第にアイアンガーヨーガはアメリカやヨーロッパで最も練習されるヨーガのひとつとなった。
エルモア・レナードさんの残した言葉【小説家】1925年10月11日~2013年8月20日
「私の目的は自分自身を楽しませることです。もし私を楽しませることができたなら他の読者をも楽しませることができるからだ。」
「楽しい仕事があったとしたら、金持ちがそれをやりたがって、あなたにそれをさせないだろう。」
「理にかなっている必要はありません。それはそうであるように聞こえればよいのです。」
「運は変わるかもしれないし変わらないかもしれない。しかし時は間違いなく変わっていく。」
「頑張れば頑張るほど幸運がやってきたんだ。」
「もう50年も本や映画の脚本を書いているがこの世でこれ以上にやりたいことはない。自分が何よりもやりたいことを見つけてそのために頑張ろう。」
アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身の小説家、脚本家。男臭く、歯に衣着せない表現の独特な犯罪小説で知られる。
1984年、『ラブラバ』でエドガー賞最優秀長篇賞。
山本美香さんの残した言葉【ジャーナリスト】1967年5月26日~2012年8月20日
「問題の正解は一つではないのです。」
「世界の安定はつながっている。日本にいる人にとっても、遠い国の人ごとではないのです。生まれた場所、時代が違うだけで、同じ人間がひどい目にあっていることを、ちゃんと見てほしい。想像してほしい。」
日本のジャーナリスト。ジャパンプレス所属のジャーナリストとしてイラク戦争など世界の紛争地を中心に取材し、ボーン・上田記念国際記者賞特別賞、日本記者クラブ賞特別賞などを受賞した。
2012年のシリアでの取材中、政府軍と思われる部隊の銃撃により殺害された。
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