故人が残した名言集【8月29日】
春日野八千代さんの残した言葉【宝塚歌劇団雪組組長】1915年11月12日~2012年8月29日
「何かを始める人間は頭を打たれる。それでも、やりたいかどうか」
元宝塚歌劇団専科の男役。劇団名誉理事も務めた。元星組・雪組主演男役クラス。元雪組組長。本名、石井 吉子。愛称、ヨッちゃん。
兵庫県神戸市出身。
芸名の「春日野」は琵琶歌の歌詞の一節から、「八千代」は「君が代」から取り命名。
戦前、戦中、戦後にかけてさまざまな作品を残し、端整な美貌から「白薔薇のプリンス」「永遠の二枚目」の異名を取るなど、人気男役スターとして一世を風靡した伝説の二枚目男役。
亡くなるまで、宝塚歌劇団の重鎮として宝塚歌劇団の現役生徒(団員)であり続け、宝塚歌劇団の歴史上で最年長の生徒であった。
イングリッド・バーグマンさんの残した言葉【銀幕の名花】1915年8月29日~1982年8月29日
「自分らしくありなさい。世界はオリジナルを称賛するのです。」
「幸福の鍵は、健康と健忘ね。」
「キスは、言葉がいらなくなったとき会話を止めるように、神様が考え出した素敵なトリックよ。」
「後悔することは、やらなかったことであり、できなかったことではない。」
「富と名声に、成功を見出したことはない。私にとっての成功は、才能と情熱の中にあるの。」
「素晴らしい人生を過ごしました。自分がしたことに後悔したことはありません。私は、やらなかった物事に後悔するのです。」
「あなたの直観を鍛えなければなりません。あなたの内なる小さな声を信じなければなりません。その声は、まさにあなたが話すべきこと、決断すべきことを教えてくれるのです。」
ヨーロッパとアメリカで活躍したスウェーデン出身の女優。
遺体はロンドンのケンサル・グリーン霊園で火葬に付され、遺灰がスウェーデンへと送られた。遺灰のほとんどはスウェーデン西海岸のブーヒュースレーン地方の小島にある漁村フヤルバッカ周辺の海に散骨された。
この小島は、バーグマンが1958年から死去する1982年まで夏季の多くを過ごした場所だった。海に散骨されなかった遺灰は、ストックホルムの北霊園の、バーグマンの両親が眠る墓の隣に埋葬された。
竹鶴政孝さんの残した言葉【ウイスキーの父】1894年6月20日~1979年8月29日
「ウィスキーの仕事は私にとっては恋人のようなものである。どんな苦労でも苦労とは感じない。むしろ楽しみながら喜んでやるものだ。」
「ウィスキーでもそうだが、良い酒をつくるためには、規模や設備では解決できないものがある。熟成をじっくり辛抱して待つ精神や気質がないと、決してよいものはできないというのが私の信念のひとつである。」
「我々が誇りを抱いて造っているように、みなさんも誇りを持って売っていただきたい。」
「よりよく遊ぶ者は、よく仕事をする。」
「信念を曲げずに前進する。それが好意を寄せてくださった人々に報いる道だと私は信じている。」
「私はウィスキー一筋で生きてきた。その意味では、一行で片付く(説明できる)男である。」
「ウイスキーづくりは設備ではない。人の心だ。」
日本の実業家。ウイスキー製造者、技術者。会社経営者。ニッカウヰスキーの創業者であり、サントリーウイスキーの直接的始祖、マルスウイスキーの間接的始祖でもある。
これらの業績から「日本のウイスキーの父」と呼ばれる。
徳川家茂さんの残した言葉【江戸幕府第14代征夷大将軍】1846年7月17日~1866年8月29日
「馬に罪はない」
敵である長州藩の毛利家から馬が献上されたときに、家臣は「この馬をどのように処分しますか?」と尋ねると、家茂は、処分はしないと言ったそうです。 長州が敵であったとしても、馬そのものは、敵ではなくため、敵ではない馬を処分する理由はないということだったのです。江戸幕府第14代征夷大将軍。初めは第12代将軍・徳川家慶の偏諱を賜って慶福と名乗っていた。実父・徳川斉順は家慶の異母弟で、家茂は第13代将軍・家定の従弟にあたる。将軍就任の前は徳川御三家紀州藩第13代藩主。
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