故人が残した名言集【6月6日】
田辺聖子さんの残した言葉【小説家】1928年3月27日~2019年6月6日
「人生の喜びは、一人でも多く、話の合う人を獲得すること」
「恋愛が苦手な人は、言葉数の手持ちが少ないから」
「愛があると思うのも錯覚。ないと思うのも錯覚。」
「幸福な人間は、親切。」
「人間は、自分でルールをつくって、自分で楽しんでいる動物。」
「ま、人生はだましだまし保ってゆくもの。ゴチャゴチャしてるうちに持ち時間、終わるわよ。」
「一緒にいて楽しいという人間関係だけが、人生の生き甲斐やで。」
「結婚の成功というのは、互いに相手から何かを発見し続けていくことができるかどうかだ。」
日本の小説家、随筆家、文芸評論家。 大阪府大阪市生まれ。淀之水高等女学校を経て樟蔭女子専門学校国文科卒。恋愛小説などを中心に活動し、第50回芥川龍之介賞など数多くの文学賞を授与されている。文化勲章受章者。
寺尾次郎さんの残した言葉【映画翻訳家】1955年6月11日~2018年6月6日
「なんともはや30年とは…。いつの間にかプロとなり、大瀧さんから『学生アルバイト』というミドルネームを頂戴、その予言どおり卒業とともに足を洗ってしまった。今でも活躍するクマやター坊や村松くんやユカリの消息を知るたびに『継続は力なり』の言葉は偉大だと思う今日この頃です。」
「最長6秒しか映らない文字でどう表現するかが勝負」
日本の映画字幕を中心とした翻訳家、元ミュージシャンである。シュガー・ベイブメンバー、映画美学校講師を歴任。映画翻訳家協会会員。
レッド・ショーエンディーンストさんの残した言葉【メジャーリーガー1923年2月2日~2018年6月6日
「There’s nothing to it. Baseball isn’t that tough to play.」
(とても簡単なことだ。野球はそんなに難しいものじゃないよ。)主に1940 - 1970年代に活躍したアメリカ合衆国・MLBの元選手、及び監督。選手時代の主なポジションは二塁手。イリノイ州ジャーマンタウン生まれ。右投げ、スイッチヒッター。 名字はシェーンディーンスト とも読むメディアもある。
白鷹幸伯さんの残した言葉【千年の釘】1935年8月6日~2017年6月6日
「千年後の鍛冶屋が、千年前にもこんな釘を打つ鍛冶屋がいたのかと思ってくれればそれでいい。」
鍛冶職人。土佐鍛冶の流れをくむ刃物作り。法隆寺宮大工・西岡常一と出合い,白鳳期建造物の復元のため,千年の年月にたえる「千年の釘」の鍛造にとりくむ。
1935年(昭和10年)愛媛県松山市生まれ。9歳の頃から父の向こう槌を打ち、農具・荷馬車の輪鉄・木造建築金具などの製法を覚える。高校卒業後、土佐鍛冶の兄から山林用刃物・鎌・包丁等の製法を習う。
1961年(昭和36年)上京、日本橋木屋に就職。
1971年(昭和46年)法隆寺宮大工・西岡常一棟梁と出合い、白鳳期建造物の復元のため、千年の年月にたえる「千年の釘」の鍛造にとりくむ。
この錆につよい釘は奈良薬師寺の西塔、大講堂の復元に供され、日本の建築文化財保護に貢献。翌年、木屋を退職、郷里に帰り鍛冶に専念。
西岡棟梁の依頼で薬師寺再建のための白鳳型和釘の鍛造を行う。
三瓶明雄さんの残した言葉【DASH村】1929年11月27日~2014年6月6日
「まだまだ。」
日本の農業従事者。
1950年以降福島県双葉郡浪江町に暮らし、約20年かけて一帯の開墾を行った開拓農民である。
日本テレビ系列テレビ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画で浪江町に開設される「DASH村」の始動にあたり、農業協同組合より農業指導員として紹介を受けた。
番組内においてTOKIOのメンバーとともに農作業や動物の飼育、建築作業などを行った。
本人は裏方での指導だと思っていたところ、放送されると中心的・重要な人材として映し出されたので大変驚いたという。
福島第一原子力発電所事故によりDASH村の村域が計画的避難区域に指定され、DASH村の企画が中断したのちは、自身も福島市内の借り上げ住宅に避難しつつ、不定期企画「出張DASH村」にてTOKIOとともに日本各地の農家を訪問し、様々な作物の農業技術や調理法の紹介を行っていた。
「まだまだ」が口癖で、これは「物事は常に新しくなっていくので、現状に満足して停滞してはいけない。」という自身への戒めを込めたものであったとのこと。
なだいなだ さんの残した言葉【作家】1929年6月8日~2013年6月6日
「重要なのは意志じゃなくて意地なんです。」
「目は見るためにあるものであると同時に、見ないためにもある。」
「取り締まる教育でなく、見守る教育を」
「子供の愚かさをとがめすぎるから、その分大人が愚かになる。」
「結婚してからの一日一日は、相手の欠点を一つ一つ発見していく一日である。」
「なまけものは、哲学をもっているが、働いてばかりいる人間には、哲学がない。」
きつい一日
6月6日(最後のメッセージ)
脈拍だけ130台血圧上下はまあ平常。
痛み止めに頼る生活だ。
月末、フランスに行って、そこでフランス語で最後の講演をするつもりだったが、どうもこの状況では、難しくなってきた。
講演のテキストを準備して向こうで配ってもらおうと思うのだが、その翻訳の中で、コモンセンスの訳として作られた日本語常識なのだが、もう元には戻れない。
さりとて、新しい言葉にぶつからない。
フランス語にぴったりしたことばがないのだ。
あまりにも進化して、コモンセンスにもどらない。
訳してもらおうと思うアイノコの長女にもよく分からないといわれるしまつだ。
ただ、かなり体の状況が厳しいことになって来た。
精神科医・作家・評論家。日本テレビ放送番組審議会委員。本名は堀内 秀。
「なだいなだ」はペンネームで、スペイン語の "nada y nada"に由来する。
本名名義での翻訳書もある。
ウラジミール・ジャンケレヴィッチさんの残した言葉【哲学者】1903年8月31日~1985年6月6日
「L'homme détaché écrit le testament du bonheur le jour même de sa naissance.」
(超然とした人というものはまさに生まれた時にもう遺書を書くものだ。)「哲学なしでは、世界は魂が抜けたものになることだろう、世界は物言わぬ彫像になることだろう。」
「人生はいつだって未完成から始まるのだ。」
フランスの哲学者。 独特の思考を展開した、「分類できない哲学者」。
その思考の源泉は古代ギリシア、教父哲学、モラリスト、近代合理論哲学、近代ドイツ哲学、いわゆる「生の哲学」などをはじめ、極めて多様である。また、ドビュッシー論やラヴェル論などの音楽論でも著名。
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