故人が残した名言集【9月13日】

堀江しのぶ さんの残した最後の言葉【タレント】1965年8月18日~1988年9月13日



「社長、仕事が、したい・・・。」

(最後の言葉)



日本の女優・タレント。血液型はA型。愛知県出身。
明るいキャラクターと健康的なプロポーションで人気アイドルとなり、ドラマやバラエティで活躍していた。

巨乳ブームの先駆けでもあった。



棟方志功さんの残した言葉【版画家】1903年9月5日~1975年9月13日



「わたくしは、『生んでいる』という仕事を願い、したいと思っているのです。自分の手とか、腕とか、からだを使うということよりも、板画がひとりでに板画をなして行く、板画の方からひとりでに作品になって行くというのでしょうか。」



「日本が生む絵にもっとも大切な、この国のもの、日本の魂や、執念を、命がけのものをつかまねば、わたくしの仕業にならない。」



「この観音様はノミがつくってくれた。自分は何も覚えていない。」



「これからのわたくしの仕事というものは、他愛のないものというのでしょうか、そういうものになりたいのです。力とか、慾とか、そういうものがはいらない世界、本当に他愛のない世界から生まれてくる仕事、願うことではなく、願われる仕事、そんな慾でない慾を持ちたいものです。」



「在るものをまっ裸にしたものこそ、ぼくの世界。」



「女人の眉間に丸い星を入れると、それはホトケ様になる。」



「私が彫っているのではありません。仏様の手足となって、ただ転げ回っているのです。」



「日本から生れた仕事がしたい。わたくしは、わたくしで始まる世界を持ちたいものだと、生意気に考えました。」



「ワだばゴッホになる。」



「驚いても オドロキイレナイ。喜んでも ヨロコビキレナイ。悲しんでも カナシミキレナイ。愛しても アイシキレナイ。それが板画です。」



「いままでの自分が持っている一ツの自力の世界、自分というものは自分の力で仕事をするとうようなことからいや、自分というものは小さいことだ。自分というものは、なんという無力なものか。何でもないほどの小さいものだという在り方自分から物が生まれたほど小さいものはない。そういうようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします。」



「寝ても覚めても、夢中に板画のことばかりでいっぱいでした。そのころは、名ある版画家もカフェや料理屋のマッチペーパーまたは年賀状などなどの仕事をつくっていました。こんなことでは駄目だと私は思っていました。金になる、ならないを超えた、仕業位性の高い日本の版画をつくらなければならないと思いました。」



「驚異モ/歓喜モ/マシテ悲愛ヲ/盡(ツク)シ得ス」

亡くなる前年に自分の墓の原図を描いていた。忠実に作られたその墓は、なんと敬愛するゴッホの墓と全く同じ大きさ、デザインのものだった!前面には『棟方志功 チヤ』と夫婦の名を刻み、没年には永遠に生き続けるという意味を込めて「∞」(無限大)と彫り込まれていた。



※墓の背後には「驚異モ/歓喜モ/マシテ悲愛ヲ/盡(ツク)シ得ス」《不盡(ふじん)の柵》と彫ったブロンズ板がはめ込まれている。



日本人の板画家。青森県出身。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。

川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意。

1942年以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。



鼠小僧さんの残した辞世の句【義賊】1797年~1832年9月13日



「天が下 古き例はしら浪の 身にぞ鼠と現れにけり」

(辞世の句)



江戸時代後期に大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯。 本名は次郎吉。 鼠小僧次郎吉として知られる。 本業は鳶職であったといわれ、義賊の伝承で知られる。 お墓の前にある白い石(お前立ち)を削り、持ち帰ると『勝負運』『金運』のご利益があるとされています。 ・勝負運は、鼠小僧が長らく捕まらなかった勝負強さ ・金運は、盗んだお金を貧しい人に分け与えた ことから、パワースポットとして、多くの方がお墓参りに訪れています。

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