故人が残した名言集【9月18日】

山本KID徳郁さんの残した言葉【神の子】1977年3月15日~2018年9月18日



「本当の力は生まれ持ったものではなく、自分で頑張って手に入れるものだ。」



「最近男のファンも増えてきた。野郎が『愛してます!』とか。でも超嬉しい。やっぱ男のハート掴むのが一番嬉しい。」



「日本は妊婦に厳しいというか優しくない。電車で見てても気付いてもシカト。軟弱な男が多すぎ。」



「誰も『やれ』とは言わない。そのかわり、やらなければ誰にも相手にされない。」



「オッサンはその魚を針の付いたままひと踏み。内臓は外に飛び出て苦しそうに生きようとパクパクしてた。持って帰って食うのかなと思いきやそのまま運河にぽいっ 食わないのに何で殺すの?アイツだって必死に 生きてんじゃん!俺らは生きるために命を貰うんだろ!違うの!?食わないんなら海に返せ。」



「強くなるために必要なのは、基本を繰り返す努力。」



「眠れない時もあった。考え出すとね。誰にも見せない、弱いところは。家族にも誰にも見せない。」



「強さのメーターが低くなることが許せなかった。足もすごく細くなって……。鍛えないと、筋肉が落ちるのは早いね。」



「結局は自分で落ち込んで、自分で上がるしかない。俺、人にあんまり弱音を吐かないから。言いたいけど言えないし(笑)痛いのは俺だから、他人に言ってもしょうがないと思ってる。」



最後のメッセージ

私事で急なご報告となりますが、私山本KID徳郁はガン治療のために頑張っています。

絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っていますので温かいサポートをよろしくお願いします!
8月26日


日本の男性総合格闘家。神奈川県川崎市出身。戸籍名:岡部 徳郁。学歴は桐蔭学園高校中退〜アメリカ留学〜山梨学院大学中退。血液型B型。KRAZY BEE主宰。HERO'S 2005ミドル級世界王者。

ニックネームは「神の子」または「KID」。



ロバート・ヴェンチューリさんの残した言葉【建築家】1925年6月25日~2018年9月18日



「Less is bore 」

(より少ないことは、退屈だ)



ポストモダンの建築家。 プリンストン大学卒業後、ローマに留学。エーロ・サーリネン、ルイス・I・カーンに師事した後、フィラデルフィアに建築設計事務所を構えている。

1954年から1965年までペンシルベニア大学で教鞭を執った。

プリンストン大学卒業後、ローマに留学。

エーロ・サーリネン、ルイス・I・カーンに師事した後、フィラデルフィアに建築設計事務所を構えている。

1954年から1965年までペンシルベニア大学で教鞭を執った。

作品に「母の家」(Vanna Venturi House 1963年)、ロンドンのナショナルギャラリー増築(セインズベリ棟)、アメリカワシントン州のシアトル美術館などがある。

日光にある大江戸温泉物語 日光霧降(元のメルパルク日光霧降)は彼の作品の中でも高い評価を得ている。

1991年のプリツカー賞を受賞。



キャサリン・アン・ポーターさんの残した言葉【花咲くユダの木】1890年5月15日~1980年9月18日



「I was right not to be afraid of any thief but myself, who will end by leaving me nothing.」

(わたしはどんな泥棒も恐れません。でも、自分に何も残さずに生涯を終える、わたし自身を恐れるのです。)



「Don’t sidestep suffering. You have to go through it to get where you’re going.」

(つらい道を避けないこと。自分の目指す場所にたどりつくためには進まなければ。)



「Defeat in this world is no disgrace if you really fought well and fought for the right thing.」

(ほんとうに正しいことのために戦ったのなら、負けても恥じることはない。)



「It is such a relief to be told the truth.」

(本音を言われると、気持ちがとっても楽になる。)



「Love must be learned, and learned again; there is no end to it.」

(愛は学ばなければなりません。そして再び学ぶのです。それに終わりはないのですから。)



「She always kept things secret in such a public way.」

(友人とは秘密を上手にばらしてくれるもの。)



「One of the marks of a gift is to have the courage of it.」

(才能のひとつの特徴は、それに従い行動することです。)



「I’ve never felt that the fact of being a woman put me at a disadvantage.」

(女であることで不利だと感じたことはありません。)



「You waste life when you waste good food.」

(おいしい食事を無駄にする人は、人生を無駄にしている。)



「You do not create a style. You work, and develop yourself; your style is an emanation from your own being.」

(スタイルは作り出すものではありません。働き、自らを成長させれば、あなたのスタイルは自身の存在から発せられるのです。)



「I have not much interest in anyone’s personal history after the tenth year, not even my own. Whatever one was going to be was all prepared before that.」

(わたしは15歳の頃からだれかの生い立ちなんてさほど興味がなかったし、自分のことでさえそうだった。だれがどうなるかってことは、あらかじめすべて用意されていたんだから。)



「I shall try to tell the truth, but the result will be fiction.」

(真実を伝えようとしても、結末はフィクションになってしまう。)



「自分の運命を変えることなんて、本当はだれにもできません。でも、わたしたちを心の底から突き動かす力は存在します。」



「The past is never where you think you left it: you are not the same person you were yesterday.」

(過去は、決してそのままにしておけないのです。あなたも昨日とは違う人間なのです。)



「Miracles are instantaneous, they cannot be summoned, but come of themselves, usually at unlikely moments and to those who least expect them.」

(奇跡はいつ起きるかわかりません。呼び出すことはできなくて、思いがけない時に期待もしていなかった人のもとにやって来ます。)



「God does not know whether a skin is black or white. He sees only souls.」

(神は肌の色が黒いか白いかを知りません。魂だけを見るのです。)



「無益なことも無意味なことも存在しません。結果が出るのを待てば、その意味は自然にわかります。」



アメリカのジャーナリスト、小説家。
テキサス州インディアン・クリーク生まれ。

南部の旧家に生まれ、修道院の学校で教育を受ける。週刊誌「クリティック」記者、教師などの経験をもち、アメリカ、ヨーロッパ、メキシコなどを広く旅行した。

1930年短編集「花咲くユダの木」を発表。簡潔な文体と複雑な人間の心理への鋭い洞察が批評家の注目を集め、以来少数ながら独特の知的な文体、微妙にして強靭な象徴の駆使、その一種幽玄なすぐれた作品を発表し、第一級の女流作家となる。

ブック・オブ・ザ・マンス賞、ピューリッツァー賞など多くの賞を受賞したほか、多くの大学から文学博士号を授与される。

他の作品に「幻の馬、幻の騎手」(’39年)、評論集「過ぎ去った日々」(’52年)等。



ジミ・ヘンドリックスさんの残した言葉【伝説のギタリスト】1942年11月27日~1970年9月18日



「左手で握手してくれ。こっちの方がハートに近いから。」



「知識はお喋り。知恵は聞き上手。」



「他人の心を粗末に扱うな。」



「お前の心を粗末に扱う人間は相手にするな。」



「俺の生き方をとやかく言う資格がお前にあるのか。」



「完璧じゃないことは知ってるし、そう生きようとも思わない。」



「指差して非難する前にその手が汚れていないことを確かめろ。」



「関係あるのは、感じるか、否かって事だよ。」



「偶然に出逢う音が好きだ。」



「自然に任せて偶然に出て来た音が一番だと思う。」



「世界紛争の大半はキリスト教徒が起こしたものだ。」



「人はふつう、愛と平和のために生まれてくるものなのに、世間体を満たすためだけに社会生活で喪服を着せられている。」



「プレイするたびに自分の魂の一部を犠牲にしている。」



「音楽やサウンドの波が起きて伝わる波動は宇宙的な広がりがある。」



「ギターのいいところは、学校でそれを教えないことだ。」



「私は祖国を愛している。だが、祖国を愛せと言われたら、私は遠慮なく祖国から出ていく。」



「人生は瞬きするよりも早い。愛はおれたちがまた会う日までの出会いと別れのストーリーなんだよ。」

(遺体のすぐ隣に置いてあった詩の最後の一文)



アメリカ合衆国のミュージシャン、シンガーソングライター。 ジミ・ヘンドリックスの名で親しまれ、日本では「ジミヘン」の略称で呼ばれる事が定着している。

10年に満たない活動期間でありながら、ギタリストとして多くのミュージシャンに多大な影響を与えたロック・ミュージックのパイオニアの一人。

左利きでありながら右利き用のギターを逆さまにして構え、歯や背中など全身を駆使して演奏する。

ライブ中にギターへ火を放ち破壊するという派手なパフォーマンスでも有名である。

没後50年近く経った現在でもロック史上最高のギタリストとして評価されており、「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第1位、2011年の改訂版でも第1位に選ばれている。

2008年5月にブラジルのメタル専門誌『ROADIE CREW』が行った「HR/HM系ミュージシャンが選ぶギタリスト・ランキング」、『ギター・マガジン』2010年12月号の「ギター・マガジンが選ぶ! 史上最も偉大なギタリスト100人」で1位となっている。

また、「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100組のスター」においては第6位に選ばれている。



豊臣秀吉さんの残した言葉【三英傑・天下人】1537年3月17日~1598年9月18日



「返す返す秀頼のこと 頼み申し候 五人の衆 頼み申し候 頼み申し候」



「どこへ逃げたって、日本全国は俺の庭だ。気にするな。」



「それは上々、一段の吉日にござる。信長公のために討ち死にするは覚悟のうえ、二度と生きて帰ろうとは思わぬ。さてまた光秀の天命が尽きれば、大利を得て、思いのままに国をもらい、この播磨の城に帰ることはない。」



「人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない。」



「ひそかにわが身の目付に頼みおき、時々異見を承わり、わが身の善悪を聞きて、万事に心を付けること、将たる者、第一の要務なり。」



「何事もつくづくと思い出すべきではない。」 



「やるべき事が明確であるからこそ、日夜、寝食忘れて没頭できる。」



「降参した者を殺してはいけません。」



「女狂いに好き候事、秀吉真似これあるまじき事。」



「人と物争うべからず、人に心を許すべからず。」



「およそ主人たるもの、1年使ひ見て、役に立たぬときは暇を遣はし、家来としては、三年勤めて悪ししと知らば、暇をとること、法なり。」



「信長公は勇将であるが良将ではない。剛を持って柔に勝つことを知ってはおられたが、柔が剛を制することをご存じなかった。ひとたび敵対した者に対しては、怒りがいつまでも解けず、ことごとく根を断ち葉を枯らそうとされた。だから降伏する者をも誅殺した。これは人物器量が狭いためである。人には敬遠され、衆から愛されることはない。」



「いくら謙信や信玄が名将でも、俺には敵わない。彼らは早く死んでよかったのだ。生きていれば、必ず俺の部下になっていただろう。」



「世が安らかになるのであれば、わしはいくらでも金を使う。」



「猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これも又皆がいやがるところでの我慢があったればこそ。」



「いつも前に出ることがよい。そして戦のときでも先駆けるのだ。」



「側に置いておそろしい奴は、遠くに飛ばす。」



「家康は愚か者だ。が、油断のならない愚か者だ。」



「この黄金の輝きも 茶の一服に勝るものかな。」



「一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られる。」



「主人は無理をいうなるものと知れ。」



「主従や友達の間が不和になるのは、わがままが原因だ。」



「敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ。」



「戦は六、七分の勝ちを十分とする。」



「戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。」



「人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない。」 



「財産を貯め込むのは、良い人材を牢に押し込むようなものだ。」



「負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。」



「露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪花のことは 夢のまた夢」

(辞世の句)



戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。 天下人、武家関白、太閤。三英傑の一人。

初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。

本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、豊臣氏に改めた。

尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる。

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