故人が残した名言集【9月29日】

佐藤しのぶ さんの残した言葉【ソプラノ歌手】1958年8月23日~2019年9月29日



「(これまでの人生で最大の買い物(投資)は何かと聞かれて)私にかけたお金。無駄が多いんですけれど。でも、無駄こそ人生と思っているからいいんです(笑)。」



「私、計画魔で過剰な計画をするのが好きなんです。でも、ほとんどそのとおりにいったことがなくて(笑)。いずれにしても、時間があれば練習に充ててしまうので、ずっと忙しく、あまり公私の別はないですね。だからこそ、家族と過ごす時間は大切にしています。」



「世の中は変わっても人間の生き様は変わっていない。怒りも喜びも愛することも悲しみも。それをオペラは伝えようとしている。だから面白いんです。ぜひ劇場へオペラを観に来てほしいですね。」



「以前、イタリア人と、『歌うって恥ずかしいよね』って話したことがあります。裸で人前に出るより恥ずかしいって。なぜなら頭で何を考えているか、これまでの人生で何をしてきたか、すべて見えてしまうから。自分と真っ向から対峙するから、弱さもおろかさも全部出すことになる。それでも舞台に立つのは、やはり自分と闘う勇気、成長したいという思いもあるからでしょうね。演奏家や歌手というのはそういう意味で見事なまでに潔い、覚悟の必要な職業だと思います。」



「『仮面舞踏会』はヴェルディの傑作。ありていに言えば不倫の関係。でも、ヴェルディが描きたかったのは人間の気高さ。どんなに善良なひとびとが、善行を行ってもそれが結果的には悲劇につながってしまうこともある。なぜなら、大きな愛の力には誰も抗えない。そういう真実の愛を描いた感動的な作品です。」



「(自分を音楽へ向かわせているものは何かと聞かれて)昔は純粋に音楽が好きという気持ちでした。でも、今はそれ以上に感謝の気持ちが強いですね。歌い手になるなんて宝くじに当たるようなもの。そのうえ、家族も持てたなんて、これ以上の幸運はないですよ。」



「私、人生に無駄は何もない、100回のうち99回失敗しても、その99回は残り1回の成功に必要だったと信じているんです。負け惜しみっぽいのですが、ぶざまに格闘している自分が私は愛しいし、それが自分だなって思う。そういう小さなことを大事にしたうえで、歌っていきたいと思っています。」



「先生から、歌い手というのは、生きている楽器だから見ただけで、どういう声が出るかわかると言われました。痩せているから声が出ないのではなくて、訓練が足りないからそういうかたちになってないと。だからあなたはまず楽器をつくりなさい、と。」



「カンターレとは、他者に自分のすべてを捧げるもの。だからこそ捧げられる自分を持たなければならない。その中身をつくってすべて与えること、それが歌。」



「みんな驚くのですが、とにかく私は幸運で、自分で『歌手でやっていこ』と決めたことはないんです。そのつど出逢った先生の言うとおり、出された課題は全部やって、まわりの方々の勧めでオーデイションを受けたら受かって……。そんなふうにいろんなひとに導かれて、ここまできた気がします。普通のサラリーマン家庭で育ったので、オペラ歌手がどんな職業なのかもまったく知らなかったし、自分がなれるなんて思っていませんでした。だから本当に幸せだと思います。」



「親にもらったこの命、この楽器を使って、自分がどこまで成長し、どこまで歌えるかわからないけれど、とにかく真摯に勉強して、訓練していこうって。そうすれば、ひとに喜んでいただける歌が歌えるかもしれない。」



日本のソプラノ歌手。声楽家。夫は指揮者の現田茂夫。
東京都生まれ。その後、大阪府高槻市に転居。音楽とは無縁の一般家庭に育つ。大阪音楽大学付属音楽高等学校、国立音楽大学声楽専攻卒業。



フィル・ウッズさんの残した言葉【ジャズアルトの巨星】1931年11月2日~2015年9月29日



「人生とは好奇心を持って探求していくことだろう。 答えは見つからないとしても、見続けることだ。」



「日本のファンはとても熱心に聴いてくれるし、何よりもジャズに対しての知識が半端じゃない。日本中がジャズの評論家か、とさえ思うほどなんだよ。僕たちが自分たちでも思うほどに良い演奏ができた時には実に熱狂的に拍手をくれるし、逆に今日はイマイチだなと思った際には、拍手が薄かったりする。そういう意味では怖い聴衆でもあるんだけどね。そんな時でさえ、僕たちの体調を気遣うような言葉を掛けてくれたりもするんだ。そんなファンは世界のどこを探してもいないよ。」



「ビリー・ジョエルの名曲『素顔のままで』のプロデューサーだったフィル・ラモーンとは、ジュリアード時代からの友だちなんだ。彼がレコード業界に入ってエンジニアからプロデューサーになって、色々なアーティストと仕事をするようになり、何回か僕のことを呼んでくれてね。そのうちの一つが、あのビリーの曲だというわけさ。」



「私はいつも心を表現したいと思っている。そう、サックスを吹いていないときだって、常に思考することが大事だ。学生のころはいつも頭の中で練習していたよ。頭の中でいつも歌を歌っていたし、コードを覚えた。寝る前にも頭でエチュードの練習をしていたな。一日の終わりにその日の内容を復習して、次の日の朝ちゃんと頭の中に残っていて、そこからまた始められるようにね。」



「あるクラブでアルバイトをしていた時、チャーリー・パーカーが近くで演奏していると聞いて駆けつけた。彼は低音を気持ちよく演奏していないように見えたので、私のアルトを使ってみますか?と聞いてみたんだ。それは助かる、と言って彼は私のアルトを吹き始めた。それはもうすばらしく吹くのさ!この瞬間、私の楽器に悪いところはない、何が正しいか気づかされた。」



「自分の体の幹、中心を感じてそこからエネルギーを出さなければいけない。体を大きく動かすのは要注意だね。指使いもそうだ。『常にパール(貝)を感じろ』そう私は習った。うまい人になればなるほど全く動いていないように演奏するだろう?ピアノや他の楽器でもそうだ。指がキィに近ければ、それだけすばやく動けるから最低限のエネルギーで済む。気と心、考えることに集中して、そこにエネルギーを使うんだ。」



「それには特にロングトーンの音色を練習することだ。たった一つの音で人の心に触れ、感動を与えることができるんだよ。速いパッセージや短い音を演奏するのは練習すればだれにもできることだが、シンプルな音をはっきりときれいに演奏し、人を感動させるのはとても難しい。特に年をとると、とてもエネルギーを必要とする。私はメロディをできるだけきれいに演奏することを愛しているんだ。」



「うまくなるためには、『練習すること』としか言えないな。やはり近道はないね。『10%の才能と90%の努力』というように、小さな種でも大きくきれいな木に育つように、自分に授かった才能を育てるのは自分なわけだ。」



「ジャズは言葉に置き換えることが難しいほどの深い意味合いをもっているし、とても強い力をもっているんだ。人の心に触れることの大事さを満たしていると思う。その人の音楽にハートがあり、知的で真摯な心であれば、国や言語に関係なく誰にでも届くものだよ」



アメリカ合衆国のジャズミュージシャン。
マンハッタン音楽学校やジュリアード音楽院で学びながらジャズピアニストであり作曲家であるレニー・トリスターノに大きな影響を受けた。

卒業後すぐにビバップのサクソフォーン奏者として認められ、キャノンボール・アダレイやソニー・スティットと同様に偉大な先達チャーリー・パーカーの後継者と目された。



山崎豊子さんの残した言葉【白い巨塔】1924年1月2日~2013年9月29日



「不条理に立ち向かい、虐げられた側の心を書き残すのが作家の使命」



「人によってお辞儀の角度を変えてはいけない」



「カネ、カネ、モノ、モノといって、日本はいま精神的不毛地帯になりつつあることを警告したい」



「作家として日本の将来を考えた場合、本当に勇気を持って書き続ける精神を失ったら“ 作家の死”を意味する。命ある限り勇気を持って書く」



「いちばん小説づくりで苦しむのは主人公ですね。主人公の性格即小説だといってもいい」



日本の小説家。本名、杉本 豊子。
旧制女専を卒業後、毎日新聞社に入社した。

大阪本社調査部を経て1945年(昭和20年)学芸部に勤務し、学芸副部長(当時)・井上靖のもとで記者としての訓練を受けた。勤務のかたわら小説を書きはじめ、1957年(昭和32年)に生家の昆布屋をモデルに、親子二代の船場商人を主人公とした『暖簾』を刊行して作家デビュー。

出版後すぐに映画・ドラマ化され、人気を博した。

翌年吉本興業を創業した吉本せいをモデルに大阪人の知恵と才覚を描いた『花のれん』により第39回直木賞受賞。新聞社を退職して作家生活に入った。

初期の作品は船場など大阪の風俗に密着した小説が多く、その頂点が足袋問屋の息子の放蕩・成長を通して商魂たくましく生き抜く大阪商人の典型を描いた『ぼんち』であり、市川雷蔵主演により映画化された。



遠藤周作さんの残した言葉【狐狸庵先生】1923年3月27日~1996年9月29日



「人間にはこの世に生きていくためには、他人に対する『けじめ』がある。」



「自分の考えだけが何時も正しいと信じている者、自分の思想や行動が決して間違っていないと信じている者、そしてそのために周りへの影響や迷惑に気づかぬ者、そのために他人を不幸にしているのに一向に無頓着な者――それを善魔という。」



「仕事とは誇りだ。誇りを失って儲けるのは己の仕事への尊重を失うことだ。」



「戦後の日本人はいつの間にか、働くことと利を得ることを一緒にして利を得るためにだけ働くようになった。利がすべての目的に変わった。利のためにほかのものを多少は犠牲にしていいという風潮が社会を支配した。」



「どんな母親でもわが子が悪いとは決して考えない。わが子を悪くしたのは別の人間のせいだと必死で思おうとする。」



「不幸や苦痛はそれがどんな種類であれ、人間に孤独感を同時に与えるものだ。」



「手を握られた者は自分の苦しみや痛みがこのつなぎ合わされた手を通して、相手に伝わっていくのを感じる。だれかが、自分の苦しみや痛みをわかち持とうとするのを感じる。」



「拷問はそれ自身よりも、それを待っている時のほうが辛い。」



「人生はどんな外形をとっても本質は同じものなのである。」



「自分の一番愛しているもの、自分が一番うつくしいものを汚すことに悦びを感ずるものはいない。悦びがあったとしてもそれは倒錯的な悦びである。」



「人間の野心はあさましい。野心は人間をあさましくする。」



「野望を達成するためには男は手をよごさねばらならぬ、時にはおのれのどうにもならぬ優しさを殺さねばならぬ。」



「人間の醜悪な欲望は尽きることがない。」



「人間、好奇心がなくなったらおしまいだ。」 



「人は人の前を横切らずには生きていけない。」



「人間にとって一番辛いものは貧しさや病気ではなく、それら貧しさや病気が生む孤独と絶望のほうだ。」



「小説家とは、絶えず自分を揺さぶりつつ書いていくものである。」



「私が茶道で一番心を惹かれたのは『沈黙の声』を聴くということだ。」



「信仰は競馬によく似ていると思うことがあります。ビギナーはよく穴を当てます。ところが馬のことを勉強し始めたら、当たらなくなります。」



「私は、死というのは、この世界から新しい生命に入る通過儀礼だというふうに思っています。通過儀礼ですから、それは試練であり、そして恐怖があり、苦しみが伴うのだと思います。」



「愛の第1原則は『捨てぬこと』です。人生が愉快で楽しいなら、人生には愛はいりません。人生が辛く、みにくいからこそ、人生を捨てずにこれを生きようとするのが人生への愛です。だから自殺は愛の欠如だと言えます。」



「生活と人生とは違う。」



「神とは背中をそっと押してくれるような働きである。」



「誰かを愛するということは、その人を『信じよう』とする意志にほかならない。もしくは信じる賭けをなすことにほかならない。」 



「人間らしく生きるために七分は真面目人間、三分は不真面目人間で生活するのが『生きる智恵』と言うべきであろう。」



「自分が弱虫であり、その弱さは芯の芯まで自分に付きまとっているのだ、という事実を認めることから、他人を見、社会を見、文学を読み、人生を考えることができる。」



「人間生活にはムダなものがかなりあるが、そのムダなもののために情緒が生まれ、うるおいができ、人の心がなごむようなものがある。」 



「苦しいのは誰からも愛されぬことに耐えることよ。」



「病気はたしかに生活上の挫折であり失敗である。しかしそれは必ずしも人生上の挫折とは言えないのだ。」



「人生におけるすべての人間関係と同じように、我々は自分が選んだ者によって苦しまされたり、相手との対立で自分を少しずつ発見していくものだ。」



「本で読むことと、それを生きることは別です。」



「神はその人の信仰が魂の奥に根をおろすまで、陽にさらし雨をそそぎ、さまざまな人生過程をあたえられる。」



「人生の出来事の意味はその死の日まで誰にもわからない。」



「歯車であることは自分の意志を棄てることである。」



「権力は肉体を奪えても自由は奪えない。」



「いかなる場合でも弱い人間は自己弁解をする。」



「恨みと哀しみとは往々にして復讐の気持に変るものだ。」



「一度、神とまじわった者は、神から逃げることはできぬ。」



「一人の人間の人生には決定的な転換が与えられる時期と、瞬間がある。それはある者には緩慢に訪れるが、別の者には突如としてやってくるのだ。」



「人間にはどうしても動かせない運命というものがある。その運命の支配する限り、どんなに努力しても仕方がない。」



「人間には、どんなに努力しても成ることと成らぬことがある。」



「人間には神の定めた運命があって、その運命にいくら抗っても無意味だということもわかった。」



「神は人それぞれに十字架を背負わせたもうのだ。」



「心をつくし神を信心すること肝要にござ候。この世にては、よろず変転きわまりなく、止まるものはひとつもなきものと存じ候ゆえ。」



「人間には生まれつき心の強いもの、勇気のあるものと、臆病で不器用なものとの二種類がある。」



「孤独なんて気障な言葉は、大袈裟な連中だけが頭の良い所をみせるために深刻そうに呟くためのものだと思っていた。」



「もともと怠け者の身には学問なども身につかない、人を押しのけてまで上に出ようという気力もない、毎日、毎日が平穏、無事で暮らせればそういう人生が自分にふさわしい。」



「人を殺すことは自分が死ぬと同じほどの恐怖感がある。」



「敵も味方も自分らが正しいと思えばこそ戦が起るのだ。」



「運命なんて、努力次第で変えられるんですよ。」



「苦しんでいる患者の身になってやるのが本当の医者というもんだ。」



「病人の気持、その家族の気持がわからぬようなら、どんな医学者でも医者じゃあない。」



「薬は学問の神聖のためにあるんじゃない。病人たちの苦しみを救い、病人たちの苦しみに少しでも希望を与えるために存在するんです。」 



「我々がいつまでたってもウロウロしているのは、チャンスがないためではなく、チャンスをうまく生かさぬためだろう。」



「人間がもし孤独を楽しむ演技をしなければ、率直におのれの内面と向き合うならば、その心は必ず、ある存在を求めているのだ。愛に絶望した人間は愛を裏切らぬ存在を求め、自分の悲しみを理解してくれることに望みを失った者は、真の理解者を心のどこかで探しているのだ。」



「人間の一生には一度はまたとない好機が来る。」



「いまの若い世代にもっとも欠けているのは『屈辱感に耐える』訓練である。この訓練が行われないで、そのまま社会から大人扱いにされると、おのれのすること、なすことはすべて正しいと思うようになる。」



「一人の人間にはその運命と人生とを決するようなときが生涯、一度は必ずあるものであり、それを乗り切った瞬間、彼の未来は全面的に変わるものだ。」



「情熱を持続するには危険が必要なんだ。ちょうど恋愛の情熱がさめるのは安定した時であるのと同じように、人生の情熱が色あせるのも危険が失せた時だよ。革命はまだ危険という油を俺たちの情熱にそそいでくれる。」



「恋愛は『くるたのしい』ものである。『くるたのしい』とは苦しく、かつ、楽しいを略した私の新造語だが。」



「魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でもできる。だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。色のあせるとき、本当の愛情が生まれる。」



「作家になりたかったら、毎日三時間、十年間書き続けていればなれる。」



「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」



「黄昏の砂漠は歩きづらいが、振り返ると波打ちぎわに自分の足跡が、自分だけの足跡が、一つ一つ残っている。アスファルトの道は歩きやすいが、そこに足跡など残りはしない。」



「生活と人生はちがいます。生活でものを言うのは社会に同調するためのマスクです。また社会的な道徳です。しかし人生ではこのマスクで抑えつけたものが中心となるのです。」



「どうせ人生の本質は辛く、人間は孤独なぐらい百も承知している。だからそれだけ余計に明るく楽しく振舞おうという決心を、私はこの十年間に持ち続け更にその気持ちを強くしている。」



「人間はみんなが、美しくて強い存在だとは限らないよ。生まれつき臆病な人もいる。弱い性格の者もいる。メソメソした心の持ち主もいる…けれどもね、そんな弱い、臆病な男が自分の弱さを背負いながら、一生懸命美しく生きようとするのは立派だよ。」



日本の小説家。随筆や文芸評論や戯曲も手がけた。
1955年半ばに発表した小説「白い人」が芥川賞を受賞し、小説家として脚光を浴びた。

第三の新人の一人。キリスト教を主題にした作品を多く執筆し、代表作に『海と毒薬』『沈黙』『侍』『深い河』などがある。

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