徳川家康さんの残した言葉【三英傑】1543年1月31日~1616年6月1日

「あぶない所へ来ると、馬から降りて歩く。これが秘伝である。」


「最初に軽い者を遣わして埒があかないからといって、また重い者を遣わせば、初めに行った者は面目を失い、討ち死にをするほかはない。」


「われ独り出頭して、一人して事を埒あけたがるように致す、これ大なる病なり。」


「およそ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし。」


「怒ったときには、百雷の落ちるように怒れ。」


「真らしき嘘はつくとも、嘘らしき真を語るべからず。」


「大将というものはな、家臣から敬われているようで、たえず落ち度を探されており、恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものよ。」


「多くを与えねば働かぬ家臣は役に立たぬ。また、人間は豊かになりすぎると、結束が弱まり、我説を押し通す者が増えてくる。」


「人間は、健康でありすぎたり、得意すぎたりする時にも警戒を要するのだが、疲れたおりの消極性もまた厳に戒めなければならない。」


「不自由を、常と思えば、不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。」


「滅びる原因は、自らの内にある。」


「願いが正しければ、時至れば必ず成就する。」


「道理において勝たせたいと思う方に勝たすがよし。」


「大事を成し遂げようとするには、本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。」


「愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。」


「われ志を得ざるとき、忍耐この二字を守れり。われ志を得んとするとき、大胆不敵この四字を守れり。われ志を得てのち、油断大敵この四字を守れり。」


「敵だというのも自制心を忘れた怒りである。」


「最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。」


「人を知らんと欲せば、我が心の正直を基として、人の心底を能く察すべし。言と形とに迷ふべからず。」


「我がために悪しきことは、ひとのためにも悪しきぞ。」


「家臣を率いる要点は惚れられることよ。これを別の言葉で心服とも言うが、大将は家臣から心服されねばならないのだ。」


「家臣を扱うには禄で縛りつけてはならず、機嫌を取ってもならず、遠ざけてはならず、恐れさせてはならず、油断させてはならないものよ。」


「一手の大将たる者が、味方の諸人の『ぼんのくぼ(首の後ろのくぼみ)』を見て、敵などに勝てるものではない。」


「重荷が人をつくるのじゃぞ。身軽足軽では人は出来ぬ。」


「天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思うべからず。」


「いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。」


「己を責めて、人を責むるな。」


「平氏を亡ぼす者は平氏なり。鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり。」


「人生に大切なことは、五文字で言えば『上を見るな』。七文字で言えば『身のほどを知れ』。」


「人は負けることを知りて、人より勝れり。」


「決断は、実のところ、そんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である。」


「及ばざるは、過ぎたるより勝れり。」


「得意絶頂のときこそ、隙ができることを知れ。」


「いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。」


「戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が。」


「世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ。」


「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。」


「勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。」


「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。」


戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。 江戸幕府の初代征夷大将軍。 三英傑の一人で「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。 幼名は竹千代。通称は次郎三郎、のちに蔵人佐。

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