黒田官兵衛さんの残した遺言【戦国武将】1546年12月22日~1604年4月19日
遺言
- 自分の死骸を博多の神父の所へ持ち運ぶこと
- 息子の長政が領内において神父たちに好意を寄せること。
- イエズス会に2,000タエス(約320石に相当)を与え、うち1,000タエスを長崎の管区長に、1,000タエスを博多に教会を建てるための建築資金に充てること。
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。 諱は初め祐隆、孝隆、のち孝高といったが、一般には通称をとった黒田 官兵衛、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水として広く知られる。
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