高杉晋作さんの残した言葉【偉人】1839年9月27日~1867年5月17日

「死後に墓前にて、芸妓御集め、三弦など御鳴らし、御祭りくだされ」


「太閤も天保弘化に生まれなば、何も得せずに死ぬべかりけり。」


「生きるか死ぬかは時機に任せよう。世の人が何と言おうと、そんなことは問題ではないのだ。」


「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝をしてみたい」


「後れても 後れてもまた 後れても 誓ひしことを 豈忘れめや」


「友人の信頼の度合いは、人の死や緊急事態、困難の状況の時に分かる。」


「直言実行、傍若無人、死を恐れない気迫があるからこそ、国のために深謀深慮の忠も尽くせるのだ。」


「男児が事を成すには時があるのだ。たとえ市井の侠客と呼ばれても、胸にある一片の素の心は全く変わっていない。」


「人は人 吾は吾なり 山の奥に 棲みてこそ知れ 世の浮沈」


「人は旧を忘れざるが義の初め。」


「世間の人々は、名誉や利益を追って走っている。そんな時代に利益や名誉を捨てる。僕のようなものが他にいるだろうか。僕はたとえ牢で死んでも恨みはない。」


「翼あらば 千里の外も飛めぐり よろづの国を 見んとしぞおもふ」


「同志と共に国を作ろうとしている。曲がった国が真っ直ぐになるのはいつか分からない。その苦労は死んでからじっくりと味わおう。」


「負けて退く人をよわしと思うなよ。知恵の力の強きゆえなり。」


「天賦のかんによって、その場その場で絵をかいてゆけばよい。」


「天地も人も皆気のみである。気を養えば、人間あとは行動に移すのみだ。」


「戦いは、一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ。思案はそれからでいい。」


「先が短いなら短いなりに僕は面白う生きたい。派手な打ち上げ花火を打ち上げて、消えていく…それが高杉晋作の生き方ですき。」


「人間というのは、困難は共にできる。しかし富貴は共にできない。」


「心すでに感ずれば、すなわち、口に発して声となる。」


「苦労する身は厭わねど、苦労し甲斐のあるように。」


「死だなら 釈迦と孔子に追いついて 道の奥義を 尋ねんとこそ思へ」


「国のために家が潰れても、家などは軽いものである。世間が僕を狂っているといっても構わない。」


「これよりは、長州男児の腕前、お目に懸け申すべく」


「今さらに なにをかいわむ 遅桜 故郷の風に 散るぞうれしき 先生を 慕うてようやく 野山獄」


「過ちを改めれば、それは過ちではないのだ。」


「古くから天下のことを行う者は、大義を本分とし、決して他人に左右されることなく、断固として志を貫く。禍福や死生によって気持ちが揺れ動いたりするものではない。」


「真の楽しみは、苦しみの中にこそある。」


「人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし、死地におちいれば、それでおしまいだ。だから、おれは困ったの一言は吐かない。」


「少年の頃、読んだ本に『学問を成すなら世間から利口と思われる人になるな。世間から愚者と思われる人になれ。』とあったので世間から愚者と思われる人になろうと僕は願った。」 「苦しいという言葉だけは、どんなことがあっても言わないでおこうじゃないか。」


「いまの場合、一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義をあらわす。尊王の臣子たるもの一日として安閑としている場合ではない。」


「シャクトリムシのように身を屈するのも、いずれは龍のように伸びるためだ。そのためには、奴隷になっても、下僕になっても構わない。」


「『朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない』という事こそが人の道である。人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない。」


江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。 諱は春風。通称は晋作、東一、和助。字は暢夫。号は初め楠樹、後に東行と改め、東行狂生、西海一狂生、東洋一狂生とも名乗った。他に些々などがある。

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