太宰治さんの残した言葉【小説家】1909年6月19日~1948年6月13日
「人間は不幸のどん底につき落とされ、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。」
「鉄は赤く熱しているうちに打つべきである。花は満開のうちに眺むべきである。私は晩年の芸術というものを否定している。」
「人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。」
「親が無くても子は育つ、という。私の場合、親が有るから子は育たぬのだ。」
「子供より親が大事、と思いたい。子供のために、等と、古風な道学者みたいな事を殊勝さらく考えても、何、子供よりも、その親の方が弱いのだ。」
「僕は今まで、説教されて、改心したことが、まだいちどもない。説教している人を、偉いなあと思ったことも、まだ一度もない。」
「大人とは、裏切られた青年の姿である。」
「不良とは、優しさの事ではないかしら。」
「本当の気品というものは、真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪だ。」
「今の女性は個性がない、深みがない、批判はあっても答えがない、独創性に乏しく模倣ばかり。さらに無責任で自重を知らず、お上品ぶっていながら気品がない。」
「理窟はないんだ。女の好ききらいなんて、ずいぶんいい加減なものだと思う。」
「ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの。」
「僕は自分が、なぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。」
「男って、正直ね。何もかも、まる見えなのに、それでも、何かと女をだました気で居るらしいのね。犬は、爪を隠せないのね。」
「人から尊敬されようと思わぬ。人たちと遊びたい。けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。」
「信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。」
「安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。」
「駄目な男というものは、幸福を受け取るに当たってさえ、下手くそを極めるものである。」
「てれくさくて言えないというのは、つまりは自分を大事にしているからだ。」
「愛することは、いのちがけだよ。甘いとは思わない。」
「怒る時に怒らなければ、人間の甲斐がありません。」
「人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか。」
「信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。」
「好奇心を爆発させるのも冒険、また、好奇心を抑制するのも、やっぱり冒険、どちらも危険さ。人には、宿命というものがあるんだよ。」
「笑われて、笑われて、つよくなる。」
「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。」
「怒涛に飛び込む思いで愛の言葉を叫ぶところに、愛の実体があるのだ。」
「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我するんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。」
「幸福の便りというものは、待っている時には決して来ないものだ。」
「君のような秀才にはわかるまいが、『自分の生きていることが、人に迷惑をかける。僕は余計者だ』という意識ほどつらい思いは世の中に無い。」
「恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意志だと思う。」
「あなたはさっきから、乙姫の居所を前方にばかり求めていらっしゃる。ここにあなたの重大なる誤謬が存在していたわけだ。なぜ、あなたは頭上を見ないのです。また、脚下を見ないのです。」
「人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。」
「疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ。」
「私は、ひとの恋愛談を聞く事は、あまり好きでない。恋愛談には、かならず、どこかに言い繕いがあるからである。」
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当たるようです。」
「一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい。」
「人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。」
「人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また、『絶望』という観念にも同様にあざむかれる事がある。」
日本の小説家である。本名、津島 修治。自殺未遂や薬物中毒を克服し戦前から戦後にかけて多くの作品を発表。没落した華族の女性を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称された。
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