高畑勲さんの残した言葉【映画監督】1935年10月29日~2018年4月5日

「かつての『ハイジ』にしても、『母をたずねて三千里』や『赤毛のアン』にしても、ぼくは、はじめは、なんでこんなものをアニメーションにしようとするんだろう、する必要はないんじゃないか、というところから出発しました。感動というのは、あっという間に雲散霧消してしまう感情を表現しているだけですよね。知的、理性的に何かを掴んだかどうかはあまり問われないんです。」


「ディズニーは、すでに無声映画時代から絵を描いていません。あとの半生は、優れた才能を集めてイメージを伝え、しかもその人たちの能力を、過酷なまでに、実に見事に引き出したわけで……そういうアンサンブルを作り出すことに徹していました。」


「これはぼくが年をとったせいかもしれませんが、客観的に見れば、人間っていうのは、非常に単純なことで満足できるように思います。」


「『たのしみにしていた遠足の途中で雨が降ってしまったらつまらなくなる』かどうかですが、雨でたいへんな目に遭ったことの方が、かえって印象に残ってしまうほうが多いですよね。あとから客観的に見れば、『それも、よかったことではないですか?』ということです。」


「家族も、ことあるごとに、つまらんことで大騒動しますけれど、大騒動や失敗って、あとで思い出すと、たいていおもしろいことですよね。『待ち合わせをして、相手が来なくて腹を立ててしまい、ひどいことになってしまったけれど……』というような記憶だって、やっぱり、忘れられないもののはずです。」


「ぼくは『おもしろいことができそうだ』というのが好きなんです。自分がいまいる会社をなんとかしたいとか、団結をしたいとかいうことよりは、『おもしろい作品を作りたい』という気持ちの方が先にきています。」


「ぼくはもともと、宮崎駿さんをはじめ、多くのアニメーション仲間とは、仕事ではない場面で話すことで仲良くなっていきました。読んだ本のことであれ、世の中のことであれ、さまざまなことを折に触れて話しあっているなかで、それぞれの人の考えというのは、ちゃんと伝わってきますから。」


「自分で描かないという立場であれば、才能を持っている人を自分の色にねじふせて絵を描かせるのではなくて、『その人の絵の才能を発揮してもらう』という方向にもっていけるのではないでしょうか。いや、もっていくしかないんです。」


「みんなが、他人のことも自分のことも、まずは客観的に突き放して見る立場を確保しないといけないんじゃないだろうか、ということは、ずっと考えているんです。そうでなければ『笑い』もありえないし。」


「外側からものを眺めていると、けっこう世の中、おもしろいことばかりなんです。それを自分にひきつけようとしすぎると、なんだかあんまりおもしろくなくなっちゃって、損をしてしまうのではないでしょうか。」


「よくよく考えると、完璧なものってそうそうないよ、というか、もちろん自分も含めて言うのですが、『世の中、ダメなことばかりなんだ』ということは、もうはじめから認めてかかったほうがいい」ということは、若い人には言いたいんです。腹が立っても、まずダメさを受け入れた上で、そこでなにができるかどうか、ということを考えたほうがずっといいのだと思います。」


「やっぱり、あんまり立派なことばかり考えていたり、完璧なものを目指そうとするからこそ、『それが実現できない』とわかったとたんに引いてしまうというか、若い人なら、一足飛びにこの世の中から隠遁してしまう、というようなことが起こるわけで、そういう挫折はつまらないと思うんです。」


「『自己実現』なんていうことがよく言われていますし、若い人は勝手に、最初から自分がしかるべき役目を与えられてちゃんと働いている姿を思い描くのかもしれないんですけど、そうならなかったとき、ただ不安にかられたり、自分を生かす場所じゃないなどとあせったりするのはバカげていると思います。」


「小泉首相が『感動した』と言っても、それは何も表現していないことと同じでしょう。にもかかわらず、その言葉が人々に訴えかけるのは、日本人は心が大好きな国民だからだと思うんです。日本人は、どうも感情だけが問題になるんですね。これがフランスだと違うんです。前に僕の作品をフランスの子供たちに観てもらって、感想を聞きましょうとなったらね、これが感想じゃないんです。皆、自分がどれだけこの映画を把握したかを語るんです。
そこで、気がつきました。日本ではこういう場合、読書感想文という言葉がそれをよく表しているけれど、何を感じたか、感動したかを問うている。でも感動というのは、あっという間に雲散霧消してしまう感情を表現しているだけですよね。知的、理性的に何かを掴んだかどうかはあまり問われないんです。」


「与えられた仕事がつまらないとか、『教育してくれない』とか『自分の才能を生かしてくれない』などと、会社が自分のほうを向いてくれないことにただ不満をつのらせるだけではどうにもなりません。そんなヒマがあったら、その間に自分でおぼえられるものは、みんなおぼえようとすればいい。」


「日本文化のおもしろさやすぐれた点を知ると、おそらく放っておいても日本を愛するようになるはずです。破壊されてゴミためのようになってしまった日本から脱出して、美しいヨーロッパをファンタジーのように味わいに旅行に出かける、などというのではなくて、ね。」


「どれもこれも大事そうに見えて、漫然と手を広げすぎるよりは、ひとつのことだけ集中して学ぶというほうが、ずっと、おもしろいものに近づくと思います。」


「たとえば、『泣きじゃくる』とは、どういうことなのか。『ドギマギする』とは、どういう動きになるのか。そういう感情を具体的に表現するためには、人間の動きを分解して再構成する必要があります。それをひとつずつ学ぶということは、ぼくには、そのつど、とてもおもしろいことだったんですよ。」


「これは他の分野にも言えることだと思うけど、『どれだけ好奇心を持って、自分で勝手に課題を立てて疑問を持てるかどうか』ですよね。課題や疑問を持つ能力がなかったとしたら、当然、それに伴う問題解決もありえない。」


「『聞いておぼえる』とか『教えてもらえる』ということについては、地位がある人であるほど不利になるわけです。社長なんかになったら、誰も何も教えてくれない。むしろ、まったく無視されているぐらいの立場のほうが、自分の意欲と好奇心さえあれば、いろんなことが学べるんです。」


「ひとつの分野のおもしろさを知っていれば、別の分野のおもしろそうなものを見つけるカンも身につく。」


「勉強って、おもしろいですよね。ぼくはまんべんなく周到にさまざまな分野のことを詳しく知っているほうではありませんが、『あるひとつのことを深く知ったら、他のものを見た場合にも、同じような奥深い様相があるはずだ』という想像力がはたらくようになることについては、実感しています。」


「癒やし、という言葉が嫌いです。病気になる前の状態に回復するのを繰り返すだけで、その先には進まない。自分の快不快だけに関心があり、他者の存在が感じられない。」


日本の映画監督、アニメーション演出家、プロデューサー、翻訳家。畑事務所代表、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事。日本大学芸術学部講師、学習院大学大学院人文科学研究科主任研究員などを歴任、紫綬褒章受章。 1959年に東映動画に入社。

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