桂歌丸さんの残した言葉【落語家】1936年8月14日~2018年7月2日
「まだまだ覚えたい話もあるし、落語を引退する気はない。80歳になったらもっと勉強を始めようと思う。笑点のメンバーが上納金をくれるみたいだしね(笑)」
「私たち落語家は、噺でお客さんに楽しんでもらう商売です。肝心なのは、お客さんの頭の中に情景を浮かばせること。欲を言えば、その情景に色をつけて届けたい。」
「いろんな人に言われます。70を過ぎてまで、どうして苦労して新しい噺を覚えるのかって。そりゃあ覚えも悪くなっていくし、挑戦し続けるのはしんどい。でも、最期に目をつむった時に楽な気持ちでありたいんです。『ああ、あの噺もできたのに』なんて後悔しても遅いでしょ。」
「とにかく陽気な噺でお客さんを笑わせるのが一番だと。そういう素直な気持ちになると、不思議と受けるんですね。」
「薄情な人間には薄情な落語しかできない。人情味のある人だから、人情味のある芸ができる。まさに『芸は人なり』なんです。」
「ブームっていうのは必ず落ちる時がきますからね。ブームの時に責任を持たなきゃいけないのは、我々噺家です。上がっていくときは簡単ですが、落ちかけた時いかに長く水平に保ち続けられるか。落語を残すのも噺家の責任、落語のお客様を残すのも噺家の責任なんです。」
「ある種、いい加減にやることは必要。いい加減は『良い加減』ですからね。」
「若い時に苦労をしろ。何年か先に振り替えった時、その苦労を笑い話にできるように努力するんだ。」
「褒める人間は敵と思え。教えてくれる人、注意してくれる人は味方と思え。」
「ニ十歳を過ぎた人間にモノを教えることは何もない。ニ十歳を過ぎた人間は大人だ。ニ十歳を過ぎたら自分で気づくよりほかない。」
「その道が広くなるか狭くなるか。平らな道かデコボコ道か。それは自分の歩き方次第。ことによると、途中で土砂崩れにあうかもしれません。でも、わたしにはこの道しかないんです。」
「どうしたら話がうまくなるのか。逆説的ですが、人の話を聞くことです。人の話を理解しようと努めれば、自分にない人の性質や発言の真意を想像するでしょう。ひいては聞き上手が話し上手になるんです。」
「人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや。」
「修業は一生涯に及びます。ですから、辛抱もまた一生涯ということです。」
日本の落語家。位階は従五位。勲等は旭日小綬章。本名は椎名 巌。 公益社団法人落語芸術協会会長、横浜にぎわい座館長などを歴任した。
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