萩原健一さんの残した言葉【俳優】1950年7月26日~2019年3月26日

「僕は仕事を再開すると、いつも『再デビュー』『ショーケン、カムバック』とか言われるけどね」


「毎日針の穴に糸を通すような職人気質というのは、理解できなくもないんです。自分にもそういう、こだわりだしたらキリがないという部分がありますのでね」


「僕が解散しようというと他のメンバーから解散したくないという声があがった。バンドを維持すれば給料を貰えるから我慢するという。まだ子供のくせにサラリーマン化しちゃってたんだ。でも僕は、そんな生き方は断じて嫌だったんだよね」


「一度、僕が稼いだお金で母にお年玉をあげようとしたことがあったんだ。でも母は絶対に受け取ろうとしなかったね」


「僕は50歳になるのが怖かったんだ。実際になった時には『僕もいよいよか』と焦った」


「僕ら、ロックという嫌われてる音楽やってるのかもしれないけれど、それによって税金を払っていたりしてるんだから、一概にうるさいとかね、できないんじゃないの」


「演技なんて、シックスセンスだよね」


「オレはフリー、自由でありたいんです」


「オレの人生は壮大な無駄づかいでした」


「もう自分をだませない。カッコつけて生きたくなんかないんですよ」


「死なんて、メイビー、無になることでしょ。死の世界はホワイト。真っ暗じゃなくて真っ白って感じ。何も残らない。オレにはそれで充分ですよ」


「人気というのは、アテにしちゃいけないということだな。人間は努力したことしか戻ってこない」


「僕のファンの方っていうのは若い方でもね、お行儀がいいよ」


「何かいいとこ見せようなんていうさ、安っぽい気持ちがなくなっただけいいね」


「細かく注文されたら細かく芝居をしてます、ということでなくて、自然体の中でそういう風にできれば最高だと思う」


「難しかった問題というのが、僕の頭の中でね、難しくしていただけであって、行動に移すと意外に簡単だったよ」


日本の俳優、歌手。ニックネームは「ショーケン」。このニックネームは、十代のころの仲間にダイケン、チューケンがおり、自身がショーケンと呼ばれていたことに由来する。元ザ・テンプターズ、PYGのリード・ボーカル 。血液型はO型。所属事務所はKR株式会社。埼玉県北足立郡与野町出身。

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