芥川龍之介さんの残した言葉【小説家】1892年3月1日~1927年7月24日

「天才の悲劇は『小ぢんまりした、居心地のよい名声』を与えられることである。」


「天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である。」


「創作は常に冒険である。所詮は人力を尽した後、天命にまかせるより仕方はない。」


「私は第三者を愛するために夫の目を盗んでいる女には、恋愛を感じないことはない。しかし第三者を愛するために子供を顧みない女には、満身の憎悪を感じている。」


「我々はしたいことの出来るものではない。ただ、出来ることをするものである。」


「我々を走らせる軌道は、機関車にはわかっていないように我々自身にもわかっていない。この軌道もおそらくはトンネルや鉄橋に通じていることであろう。」


「げに人間の心こそ、無明の闇も異らね、ただ煩悩の火と燃えて、消ゆるばかりぞ命なる。」


「恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。少なくても詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない。」


「天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。」


「恋愛の徴候の一つは彼女に似た顔を発見することに極度に鋭敏になることである。」


「民衆の愚を発見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我々自身も亦民衆であることを発見するのは、ともかくも誇るに足ることである。」


「人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ。」


「人生は地獄よりも地獄的である。」


「道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与えたる損害は完全なる良心の麻痺である。」


「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理屈さえつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。」


「他人を弁護するよりも自己を弁護するのは困難である。疑うものは弁護士を見よ。」


「人生の悲劇の第一幕は、親子となったことに始まっている。」


「自然を愛するのは、自然がわれわれを憎んだり、嫉妬しないためでもない事はない。」


「最も賢い処世術は、社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。」


「古来政治的天才とは民衆の意思を彼自身の意思とするもののように思われていた。が、これは正反対であろう。むしろ政治的天才とは彼自身の意思を民衆の意思とするもののことをいうのである。」


「僕は芸術的良心を始め、どういう良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである。」


「我々に武器を執らしめるものは、いつも敵に対する恐怖である。しかもしばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である。」


「人生の競技場に踏みとどまりたいと思ふものは、創痍を恐れずに闘はなければならぬ。」


「文を作るのに欠くべからざるものは、何よりも創作的情熱である。」


「完全に自己を告白することは、何びとにも出来ることではない。同時にまた、自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない。」


「我々はあらゆる女人の中に多少のマリアを感じるであろう。同時に又あらゆる男子の中にも –。いや、我々は炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶や厳畳に出来た腰かけの中にも多少のマリアを感じるであろう。」


「あなた方のお母さんを慈しみ愛しなさい。でもその母への愛ゆえに、自分の意志を曲げてはいけない。そうすることが後に、あなた方のお母さんを幸せにすることなのだから。」


「僕等の性格は不思議にも、たいてい頸(くび)すじに現れている。」


「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わねば危険である。」


「女人は我々男子には、正に人生そのものである。即ち諸悪の根源である。」


「好人物は何よりも先に、天上の神に似たものである。第一に、歓喜を語るに良い。第二に、不平を訴えるのに良い。第三に、いてもいなくても良い。」


「強者は道徳を蹂躙するであろう。弱者はまた道徳に愛撫されるであろう。道徳の迫害を受けるものは、常に強弱の中間者である。」


「成すことは必ずしも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少なくとも成すに足ることを欲するのは。」


「人間は時として、満たされるか満たされないかわからない欲望のために一生を捧げてしまう。その愚を笑う人は、つまるところ、人生に対する路傍の人に過ぎない。」


「人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である。」


「わたしは二三の友だちには、たとい真実を言わないにもせよ、嘘をついたことは一度もなかった。彼等もまた嘘をつかなかったら。」


「他を嘲(あざけ)るものは同時にまた他に嘲られることを恐れるものである。」


「どうか英雄とならぬように –英雄の志を起さぬように力のないわたしをお守りくださいまし。」


「あらゆる社交は、おのずから虚偽を必要とするものである。」


「忍従はロマンティックな卑屈である。」


「私は不幸にも知っている。時には嘘によるほかは語られぬ真実もあることを。」


「周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい。」


「我々の生活に必要な思想は、三千年前に尽きたかもしれない。我々は唯古い薪に、新しい炎を加えるだけであろう。」


「運命は偶然よりも必然である。『運命は性格の中にある』という言葉はけっして、なおざりに生まれたものではない。」


「古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔している。」


「道徳は常に古着である。」


「軍人の誇りとするものは、小児の玩具に似ている。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう。」


「懐疑主義者もひとつの信念の上に、疑うことを疑わぬという信念の上に立つものである。」


「女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである。」


「われわれを恋愛から救うものは、理性よりもむしろ多忙である。」


「幸福とは、幸福を問題にしない時をいう。」


「わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。」


「阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。」


「どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。」


「自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。」


「打ちおろすハンマーのリズムを聞け。あのリズムが在する限り、芸術は永遠に滅びないであろう。」


日本の小説家。本名同じ、号は澄江堂主人、俳号は我鬼。 その作品の多くは短編である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。

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