小津安二郎さんの残した最後の言葉【名監督】1903年12月12日~1963年12月12日

「映画はドラマだ、アクシデントではない。」

(最後の言葉)


「何も悪いことをした覚えはないのに、どうしてこんな病気にかかったんだろう。」

(最後の言葉)


「右足がどっかに行っちゃったのかね。ベッドの下に落っこちているんしやないかね。」

(最後の言葉)


日本の映画監督・脚本家。「小津調」と称される独特の映像世界で優れた作品を次々に生み出し、世界的にも高い評価を得ている。「小津組」と呼ばれる固定されたスタッフやキャストで映画を作り続けたが、代表作にあげられる『東京物語』をはじめ、女優の原節子と組んだ作品群が特に高く評価されている。

「小津調」とは、小津安二郎がつくりあげた独自の映像世界・映像美をさす。その主な特徴として、ロー・ポジションでとること、カメラを固定してショット内の構図を変えないこと、人物を相似形に画面内に配置すること、人物がカメラに向かってしゃべること、クローズ・アップを用いず、きまったサイズのみでとること、常に標準レンズを用いること、ワイプなどの映画の技法的なものを排することなどがある。また、日本の伝統的な生活様式へのこだわりや、反復の多い独特のセリフまわし、同じ俳優・女優が繰り返しキャスティングされることも小津調を作り上げる要素の一つになっている。

小津が求めた画面の完璧さは小道具や大道具の配置、色調にとどまらず、演じる俳優たちにも求められた。俳優の位置、動きから視線まですべて小津監督の計算したとおり実行することが求められた。これによって画面に完璧な美が生まれた。松竹の後輩として小津監督を見ていた吉田喜重は美しさへのこだわりから生み出される画面の美について「それはこの世界が無秩序であるがゆえに実現した、かりそめの幻惑であったのだろう。おそらく小津さん自身のこの世界を無秩序と見るその眼差しが、このなにげない反復の運動、その美しい規則性を見逃すことなく捉え、無上の至福にも似た、かりそめの調和といったものをわれわれに夢みさせるのである」と述べている。

1920年代、ハリウッドで映画製作に携わっていたヘンリー小谷(小谷倉市)が松竹蒲田撮影所に招かれ、ハリウッド流の映画製作技術を伝えた。その一つに、構図の中に俳優たちを配置し、その構図が崩れないように、カメラの動きと俳優の動きを制限するやり方があった。この手法が小津に大きな影響を与えた。小津は俳優の配置やカメラの動きだけでなく、俳優が微妙で正確な動作を完璧に行うことを求めた。また、セリフの口調やイントネーションなどは小津が実際に演じてみせて、俳優に厳密にそのとおり演じさせた。少しでも俳優の動きと小津のイメージにずれがあると、際限なくリハーサルが繰り返された。たとえば『麦秋』での淡島千景は、原節子と話す場面で小津からNGを出され続け、20数回までは数えたがその後は回数を忘れたほどだった。同様に『秋刀魚の味』で岩下志麻は巻尺を手で回す場面で何度やってもOKが出なかった。小津が「もう一回」「もう一回」といい続け、岩下はNGを80回まで数えて後はわからなくなったという。

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