棟方志功さんの残した言葉【版画家】1903年9月5日~1975年9月13日

「わたくしは、『生んでいる』という仕事を願い、したいと思っているのです。自分の手とか、腕とか、からだを使うということよりも、板画がひとりでに板画をなして行く、板画の方からひとりでに作品になって行くというのでしょうか。」


「日本が生む絵にもっとも大切な、この国のもの、日本の魂や、執念を、命がけのものをつかまねば、わたくしの仕業にならない。」


「この観音様はノミがつくってくれた。自分は何も覚えていない。」


「これからのわたくしの仕事というものは、他愛のないものというのでしょうか、そういうものになりたいのです。力とか、慾とか、そういうものがはいらない世界、本当に他愛のない世界から生まれてくる仕事、願うことではなく、願われる仕事、そんな慾でない慾を持ちたいものです。」


「在るものをまっ裸にしたものこそ、ぼくの世界。」


「女人の眉間に丸い星を入れると、それはホトケ様になる。」


「私が彫っているのではありません。仏様の手足となって、ただ転げ回っているのです。」


「日本から生れた仕事がしたい。わたくしは、わたくしで始まる世界を持ちたいものだと、生意気に考えました。」


「ワだばゴッホになる。」


「驚いても オドロキイレナイ。喜んでも ヨロコビキレナイ。悲しんでも カナシミキレナイ。愛しても アイシキレナイ。それが板画です。」


「いままでの自分が持っている一ツの自力の世界、自分というものは自分の力で仕事をするとうようなことからいや、自分というものは小さいことだ。自分というものは、なんという無力なものか。何でもないほどの小さいものだという在り方自分から物が生まれたほど小さいものはない。そういうようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします。」


「寝ても覚めても、夢中に板画のことばかりでいっぱいでした。そのころは、名ある版画家もカフェや料理屋のマッチペーパーまたは年賀状などなどの仕事をつくっていました。こんなことでは駄目だと私は思っていました。金になる、ならないを超えた、仕業位性の高い日本の版画をつくらなければならないと思いました。」


日本人の板画家。青森県出身。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。 川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意。1942年以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。
棟方は大変な近視のために眼鏡が板に付く程に顔を近づけ、軍艦マーチを口ずさみながら板画を彫った。第二次世界大戦中、富山県に疎開して浄土真宗にふれ、「阿弥陀如来像」「蓮如上人の柵」「御二河白道之柵」「我建超世願」「必至無上道」など仏を題材にした作品が特に有名である。「いままでの自分が持っている一ツの自力の世界、自分というものは自分の力で仕事をするというようなことからいや、自分というものは小さいことだ。自分というものは、なんという無力なものか。何でもないほどの小さいものだという在り方自分から物が生まれたほど小さいものはない。そういうようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします」と言っている。

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