淡谷のり子さんの残した言葉【ブルースの女王】1907年8月12日~1999年9月22日

「ブルースの女王?それ、安っぽくてイヤな言葉。ねぇ、『のりちゃん』と呼んで。ジャズもシャンソンも好きだし、クラシックだってもう一度勉強し直したいな、って思ってるのよ。」


「自分から逃げれば逃げるほど、生き甲斐も遠ざかる。」


「 レコード大賞も歌手を堕落させる原因ね。賞を取ればギャラも上がるから血眼でしょう。歌手はね、お金のために歌うようになったらおしまいよ」


「ブルースというものは、だれかが書いて、だれかが曲をつけて歌うもんじゃないの。黒人たちが自分の思いを自分の言葉で、自分のメロディーで叫んだ歌、それがブルースよ」


「あたしはね、やれるところまでやりますよ。歌と一緒に死んでかなきゃいけない、と昔から思ってるんだ。」


「ヘアヌードなんて、ただべローンと裸になるだけ。心の中に何か持ってないと。」


「あまりヨレヨレになって生きているっていうのは…。でも、そうかといって、じゃ華々しいうちにステージをやめればいいじゃないかって言われるけど、そんなものじゃないんですよ。最後まで見きわめたいでしょう。」


「レコード大賞も歌手を堕落させる原因ね。賞を取ればギャラも上がるから血眼でしょう。歌手はね、お金のために歌うようになったらおしまいよ。」


「歌屋は歌だけをちゃんとやればいいのよ。」


「歌手は自分が酔うのではなく、聞き手を酔わせるもの。」


「今の若い歌手のひどいこと。のど自慢で『かね1つ』といったようなものが、恥も外聞もなく盛んに歌っている。テレビのスイッチを思わず切りたくなるような歌手が多いんで、嫌になっちゃいますよ。」


「誰が歌ったんだっけ?『着てはもらえぬセーターを、寒さこらえて編んでます。』着てはもらえないとわかっているのなら、編むことないわよ。自分の中に光を持っているのに、『私はダメかもしれない』ってね。それはせっかく懐中電灯を持ちながら、眼をつぶって歩くようなものです。尊いものを持っているのに、その有り難さに気付かない。贅沢ですよ。」


「せっかく兵隊さんたちが夢を求めているのに、きたならしいもんぺをはいて、化粧もしないで『別れのブルース』歌えますか。そういったら、「歌は歌、服装は服装じゃないか」っていうのね。服装が歌につながってるってことがわからないのよ。それでまた始末書。化粧しちゃいけない、なんていったって、私の顔、化粧しなきゃ見られないですよ(笑」


「自分から逃げれば逃げるほど、生き甲斐も遠ざかる。」


「舞台に上がるときはドレスもさることながら、最高にゴージャスなパンティをつけて、天下の美女って気持ちで歌うのよ。」


「勉強するしか道は無い、苦しみ悩み努力が無い歌はインチキだ。」


「奥さん。ダンナはおだてて使いなさい。」


「ドレスは私の戦闘服よ!」


「歌手は舞台で泣くものではありません。ただそういう私も一回だけ泣いたことがあります。戦争中に兵隊さんを慰問した時、楽屋に十人くらいの若い兵隊さんがやって来て、私たちは特攻隊員だから、いつ席を立つかわからない、その時は歌の途中で出て行くこともある、その無礼を前もっておわびに来た、というんです。で、私が舞台で一番を歌い終わると同時に、その十人くらいの兵隊さんがいっせいに立ち上がり、私に向かって敬礼をして出て行ったのです。ああッ出撃命令が出たのだ、もうあの人たちは帰って来ないかと思うと涙が次から次へと出てきて、とうとう歌えなくなりました。その一回だけです。」


「美空ひばりさんの真似だったり、私の真似だったりしたら、それは物真似で、歌ではありません。自分の歌を大切にして、自分でなくては歌えないような歌が、たとえ下手のように聞こえても、ほんとうの歌です。嫌いなことはくたびれるが、好きなことをするのはくたびれない。」


「工夫をこらした仮病ほど、なぜかすぐばれる。」


「つきつめれば、すべてが歌。」


青森県青森市出身の女性歌手。 本名:淡谷 のり。日本のシャンソン界の先駆者であり、ブルースと名の付く歌謡曲を何曲も出した由縁から「ブルースの女王」と呼ばれた。叔父は元社会党の代議士・淡谷悠蔵。身長150.3cm。
1931年コロムビアへ移籍。古賀メロディーの「私此頃憂鬱よ」がヒット。淡谷はコロムビアでは映画主題歌を中心に外国のポピュラーソングを吹込む。1935年の「ドンニャ・マリキータ」はシャンソンとしてヒットし、日本のシャンソン歌手の第1号となる。
日中戦争が勃発した1937年に「別れのブルース」が大ヒット、スターダムへ登りつめる。ブルースの情感を出すために吹込み前の晩酒・タバコを呷り、ソプラノの音域をアルトに下げて歌う。
その後も数々の曲を世に送り出し名をとどろかせる。

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