相田みつを さんの残した言葉【にんげんだもの】1924年5月20日~1991年12月17日
「雨の日には雨の中を 風の日には風の中を」
「名もない草も実をつける いのちいっぱいの花を咲かせて」
「だれにだってあるんだよ ひとにはいえないくるしみが だれにだってあるんだよ ひとにはいえないかなしみが ただだまっているだけなんだよ いえば ぐちになるから」
「あなたがそこにただいるだけで、その場の空気が明るくなる。あなたがそこにただいるだけで、みんなの心がやすらぐ。そんなあなたに私もなりたい。」
「柔道の基本は受身 受身とは投げ飛ばされる練習 人の前で叩きつけられる練習 人の前でころぶ練習 人の前で負ける練習です。」
「背のびする自分 卑下する自分 どっちもいやだけど どっちも自分」
「あのときの あの苦しみも あのときの あの悲しみも みんな肥料になったんだなあ じぶんが自分になるための」
「澄んだ眼の底にある 深い憂いのわかる人間になろう 重い悲しみの見える眼を持とう」
「セトモノとセトモノとぶつかりっこすると すぐこわれちゃう どっちかがやわらかければだいじょうぶ やわらかいこころを持ちましょう」
「他人のものさし 自分のものさし それぞれ寸法がちがうんだな」
「その根っこは見えない その見えないところに大事な点がある」
「七転八倒 つまづいたり ころんだりするほうが 自然なんだな 人間だもの」
「負ける人のおかげで 勝てるんだよな」
「あたらしい門出をする者には 新しい道がひらける」
「おまえさんな いま一体何が一番欲しい あれもこれもじゃだめだよ いのちがけでほしいものを ただ一ツに的をしぼって言ってみな」
「感動いっぱい、感激いっぱいのいのちを生きたい」
「一生勉強 一生青春」
「受身が身につけば達人 まけることの尊さがわかるから」
「そのうち そのうち べんかいしながら日がくれる」
「毎日毎日の足跡が おのずから人生の答えを出す きれいな足跡には きれいな水がたまる」
「やり直しのきかない人生 待った無しの命」
「私の、このヘタな文字、つたない文章も、見てくれる人のおかげで書かせていただけるんです。『おかげさんで』でないものは、この世に一つもありません。みんな『おかげさんで』で成り立っているんです。」
「待ってもむだな ことがある 待ってもだめな こともある 待ってむなしき ことばかり それでもわたしは じっと待つ」
「ぐちをこぼしたっていいがな 弱音を吐いたっていいがな 人間だもの たまには涙をみせたっていいがな 生きているんだもの」
「その人の前に出ると 絶対にうそが言えない そういう人を持つといい」
「私がこの世に生れてきたのは 私でなければできない仕事が 何かひとつこの世にあるからなのだ」
「あなたの心がきれいだから なんでもきれいに見えるんだなあ」
「なやみは つきねんだなあ 生きているんだもの」
「人生において 最も大切な時 それはいつでも いまです」
「毎日少しずつ それがなかなかできねんだなあ」
「いいですか いくらのろくてもかまいませんよ たいせつなことはね いつでも前をむいて 自分の足で 自分の道を歩くことですよ」
「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えねんだなあ」
「身からでたサビだなあ 身に覚えがある」
「無理をしないで なまけない私は 弱い人間だから」
「トマトにねぇ いくら肥料をやったってさ メロンにはならねんだなあ」
「わたしは、人間のほんとうの幸せとは『充実感のある生き方』だと思っています。」
「一文字を書いた大作だけを集めた展覧会を開きたい」
(長男・一人との最後の会話)(最後の言葉)
日本の詩人・書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人、いのちの詩人とも称される。
相田は長く不遇であり、師匠の紀野一義によると、詩の文言が顧客に受け入れられずに長く苦しんだという。晩年の大衆的人気と商業的な成功とは裏腹に、文学や書の分野で相田の作品が評論されることはあまりなく、詩人の高橋順子は「相田作品は処世訓のようなもの」、思潮社代表取締役であり詩人でもある小田久郎は「今は分かりやすいものが受ける時代。詩は難解であっていい」、現代詩作家の荒川洋治は「実用的で即効性のあるものが求められているのを感じる。でも、自分がどう生きるのか、長い時間をかけて考えさせてくれるのは文学しかない」と、おおむね否定的である。奥本大三郎は「素直に言ってこの相田みつをと言う人の、わざと下手に書いて人に阿(おもね)るような字も、それを紙に書きつけた、人の心の底の劣等感をごまかすような文句も私は嫌いである。上手に書ける字をわざと下手に書く人には何か魂胆がある、と警戒したくなる」などと厳しい。
一方、詩人の杉山平一は「相田みつをを詩人として認めるべき」であり「大勢の人に相田作品が読まれている現実を、無視するわけにはいかないでしょう。むしろ詩人は、独りよがりになりすぎた現代詩の反省材料として、相田ブームを見るべきではないか」と述べた。作家の立松和平は相田を「思想の語り部」と評し、「難しい言葉を一つも語らないで、仏教の根本的な哲理のようなものを語ってしまう。そして、それを読んだ人に『なにかが残る』んですね。残る――ということは、その先の世界があるということです」と語った。行動経済学研究の第一人者であるリチャード・セイラーは「彼の残した書の言葉は実に素晴らしく、心を打たれました。印象に残ったのは、“しあわせはいつもじぶんのこころがきめる”というフレーズと、“にんげんだもの”です。行動経済学に通じるものがあります」と語り、相田の人に対する洞察が行動経済学が想定する「人類」をうまく表現していることを指摘した。
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