川北博さんの残した言葉【公認会計士】1925年8月1日~2018年12月9日
「振り返ってみれば、私は若い時分から脇目も振らずに突っ走ってきました。現在も女房からは『好きな絵を描くとか一緒に老後を楽しむはずだったのにね』と言われています。」
「強く記憶に残っているのは、16歳で仙台陸軍幼年学校を卒業するときに、同校訓育部長で後に硫黄島で戦死された千田貞季少将から受けたこの言葉です。『お前たちはいずれ下級指揮官になって剣電弾雨の中で戦う。そのときに任務を忘れるな。進んで難に当たれ』ということでした。」
「77歳のいままで走り続けてきたのですが、まったく後悔していません。本格的に自分自身の時間を持つのは80歳になってからにしようと思っています。『斃れて後已む』ということになるかもしれませんが、それはそれでいいのではないかと思っています。」
「陸軍士官学校卒業の私にとっては『人生意気に感ず』が染みついていたのです。個人的な損得抜きにして世の中のために頑張るということです。」
「士官学校時代に上陸用舟艇で演習していたときのことです。スパイラルスクリューに縄が絡むと、真冬なのに『俺がやる』と言って、真っ先に水の中へ飛び込んで縄を外す。それが若い私たちの男の美学だったのです。」
「企業も含め、どんな組織でも同じだと思いますが、集団では誰かが率先して嫌なことや難しいことをやらなければならないのです。誰も水の中に飛び込もうとしない集団は弱い集団です。」
日本の公認会計士、税理士、不動産鑑定士、司法書士、会計学者。階級は陸軍少尉。学位は博士。公認会計士川北・徳永事務所代表社員、宗和税理士法人代表社員、日本公認会計士協会相談役、静岡県立大学経営情報学部客員教授。
1949年公認会計士2次試験に合格。1955年「公認会計士・税理士川北事務所」を創設。1986年、監査法人トーマツの会長に就任し、1993年まで務める。1990年から1992年に掛けてはデロイトトウシュトーマツインターナショナルの代表者会議にて議長も務めていた。その後、「公認会計士・税理士川北徳永事務所」を設立、川北が代表に就任した。現在は「宗和税理士法人」をたちあげ、監査業務を「公認会計士川北・徳永事務所」で行っている。
日本公認会計士協会会長、大蔵省企業会計審議会委員、大蔵省公認会計士審査会委員、国際会計基準委員会(IASC)日本代表、国際会計士連盟(IFAC)日本代表、アジア太平洋会計士連盟(CAPA)会長、財団法人財務会計基準機構テーマ協議会議長といった公職を歴任し、その後は日本公認会計士協会の相談役を務めている。
学術・研究活動としては、山梨学院大学教授、東亜大学大学院総合学術研究科教授を歴任する。現在は、静岡県立大学経営情報学部客員教授を務め、中国人民大学客員教授も兼任する。現「日本ディスクロージャー研究学会」の理事を務め、2007年には八田進二らとともに「日本内部統制研究学会」の設立に携わり、初代会長に就任した。その他多くの学会、研究会、機関、団体等で活躍した。
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