マイルス・デイヴィスさんの残した言葉【ジャズの帝王】1926年5月26日~1991年9月28日

「So what?」

 (それがどうした?)


「自分が重要と思わない限り、他人がどう思おうとオレには関係ない。」


「いちばん大切なのは、自分だけのサウンドだ。それがない限り、どんなメロディを演奏しても意味がない。」


「同じところなんかにずっといたくない。クリエイティブなことができないなら、死んだ方がましだ。生きてる意味がないじゃないか。」


「ふり返るな。謝るな。説明するな。同じことを繰り返すな。」


「誰だっていつもと違うことをやらなければならない状況に置かれたら、特別な考え方をしなきゃならない。もっと想像力を働かせ、創造的にも革新的にもなって、冒険をしなきゃならない。」


「規則どおりにやってうまくいかなければ、規則を破ることだって平気でやった。」


「安全圏で突っ立ってるんじゃない。何かを創造したいと思うなら自ら変化しなければならない。」


「試練はいつだってオレを10倍強力にするからな。チャレンジするのは大好きだ。」


「Don’t play what’s there, play what’s not there. Don’t play what you know, play what you don’t know. I have to change, It’s like a curse.」

(すでにあるものをプレイするんじゃない、ないものをプレイするんだ。知っているものをプレイするんじゃない、知らないものをプレイするんだ。つねに変化しなきゃな。課せられた呪いみたいなもんさ。)


「I’ll play it first and tell you what it is later.」

(先に演奏するぞ、曲名はあとで教える。)


「Do not fear mistakes. There are none.」

(失敗を恐れるな。失敗なんてないんだ。)


「For me, music and life are all about style.」

(オレにとって、音楽も人生もスタイルがすべてだ。)


「Learn all that stuff and then forget it.」

(すべて学び、そして忘れろ。)


「A legend is an old man with a cane known for what he used to do. I’m still doing it.」

(伝説というのは、過去の業績にしがみついている老人のことだろ。オレは今でも現役だ。)


「When you’re creating your own shit, man, even the sky ain’t the limit.」

(自分自身の何かを創造している時は、限界なんてない。)


「My future starts when I wake up every morning.」

(オレの未来は、毎朝起きた時にはじまる。)


「Good music is good no matter what kind of music it is.」

(どんな種類であれ、いい音楽はいい。)


「音楽における自由というのは、自分の好みや気持ちに合わせて、規則を破れるように規則を知っている能力だ。」


「必要なのは才能じゃない。練習、練習、練習、それだけだ。」


「オレは、楽な生き方には興味はない。」


「オレみたいに何か新しいことをやろうとする人間は、無視されるリスクをいつも背負っているんだ。」


「ジャンルというヤツは嫌いだ。そんなもの、音楽には関係ないだろう。」


「明日に向かって何もしないなんて、オレには耐えられない。」


「人生は変化であり、挑戦だ。」


「オレは現状に甘んじる人間は好きじゃない。常に前進し、変化を求める人間が好きだ。」


「オレは、地球上で最高のサウンドは人間の声だと思っている。だからシンガーが歌うようにトランペットを吹いている。」


「相手の音楽を理解するっていうのは、その人間を理解するってことじゃないか。肌の色なんて関係ない。」


「音楽は競争じゃない。協調だ。一緒に演奏して、互いに作り上げていくものなんだ。」


「他人が何か言ってきても、重要なことでなければ、『勝手にしやがれ』と言うことにした。それからというもの、オレの人生はスムーズに転がりはじめたんだ。」


「毎日一歩ずつ前進するように、がんばり続けるだけだ。そうだ一歩ずつだ。」


「自分の気持ちに正直に生きるべきだ。好きなら好きと言えばいい。気に食わないのなら、そう言えばいいんだ。オレは妥協も我慢もしない。」


「まずは教えてやることだ。今度は、それが自分に返ってくる。」


「すべての芸術的表現における創造性や才能には、年齢なんてないんだ。年季はなんの助けにもならない。」


「自分は自分のやり方でやらないと。誰のコピーもしちゃいけない。」


「終わってしまう前に、終われ。」


「音楽は何より雄弁に物語っている。言葉や説明はいらない。そんなもので補足しなけりゃいけない音楽なんてオレには意味がない。」


「その時に起こりつつあることに対して、オープンじゃないといけない。」


「時代は変わったんだよ。やりたいようにやっていい。」


「すべてが目標に向かっての勉強なんだと自分に言い聞かせていた。」


「グループを作る場合は、いろいろな人間を混ぜないと駄目だ。持ち味ってもんが違うからな。」


「何かがおかしくなりはじめた時に指摘してくれる人間を人生で一人でも見つけられれば、とても幸運だ。」


「自分の手の内を一通り出してしまったら、今度は違うことをやれ。」


「『あいつみたいになる』『あいつよりうまくなってやる』そんなことに囚われてはいけない。」


「偉大なバンドを作り上げるためには、全員の犠牲が必要で、それなしじゃ何も起こらない。」


「立派なジャズを演奏するには、実際の生活や経験を通じてはじめて身につく、人生に対する理解とか感情といったものが必要なんだ。」


アメリカ合衆国のジャズトランペット奏者。アルバム『カインド・オブ・ブルー』『ビッチェズ・ブリュー』などで知られている。日本には彼を「ジャズの帝王」、「モダン・ジャズの帝王」と呼ぶファンや評論家も多い。

マイルスのトランペット・プレイは、ミュートを(1940年代後半〜1950年前半に使用したミュートは「カップ・ミュート」が中心で、「ハーマン・ミュート」を頻繁に使用するのは1950年代中頃から)使用し、自身の特性を考慮し、ヴィブラートをあまりかけず、跳躍の激しい演奏などといったテクニックにはあまり頼らない面が挙げられる。また、ディジー・ガレスピーのようなハイトーンを避け、中音域がトランペットにおいて最も美しい音がでる、として多用し、音から音へ移動する場合、半音階を用いている。

後には、無駄な音を出さないという「空間性」にも繋がっていった。楽曲上の主な特徴は、初期においては、テーマの後、それぞれが順にソロ演奏を行い、その間バックアップとして呼応したり煽る事はあっても、アドリブ演奏を同時に2つ以上ぶつけることはせず、その後、再びテーマに戻って終わるといった、ジャズでの典型的なスタイルである。1960年代以降は、テーマに戻らずに終了する作品も見られる。また、1970年代以降のステージでは、トランペットの他に電気オルガンやシンセサイザーといったキーボードを演奏する事もあった。

クラシックなどのアレンジも研究し、クール・ジャズや後の完全にアレンジされたジャズにおいて、その成果が発揮された。特に、マイルスが導入したスタイルにモード (旋法)・ジャズ(Modal Jazz)がある。これらは、チャーリー・パーカーらが創出したビバップに限界を感じ、コードが導入される以前の古い教会旋法を積極的に採りいれたアルバム『カインド・オブ・ブルー』で、モード・ジャズの発端を開いた。

他にも、ブルースやロック、はたまたヒップホップなども採り入れ、ジャズを超えた、様々なジャンルの音楽に注目していた。1960年代後半は、マイルス自身ロックなど電気楽器を取り入れた音楽にも強い関心を持っていた。ジェームス・ブラウン、スライ・ストーン、ジミ・ヘンドリックスの音楽を評価し、ジミとは共同で録音する計画まであった。ただ、ジミとの共演は非公式なセッションだけで終わった。ビートルズに関しては、評価せず興味も示さなかった。ただ、パーティーでジョン・レノンと出会い、バスケット・ボールをプレイしている映像は、動画サイトで確認可能である。プリンス作曲の「ジェイルバイト」の音源は、未発表のままとなっている。ただし、ブートというかたちでプリンスと共演したもう一つの作品「キャン・アイ・プレイ・ウィズ・ユウ」は出回っている。この曲は元々、アルバム『TUTU』に入る予定であったが、曲調が他の収録曲と合わないため外れた。また、『ユア・アンダー・アレスト』では、スティングがナレーションでゲスト参加し、マイケル・ジャクソンやシンディ・ローパー(「タイム・アフター・タイム」)のカバーも収録している。
音楽的には柔軟で先進的な姿勢を貫いたマイルスも、フリー・ジャズは演奏せず、オーネット・コールマンを批判した事もあった。

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