毛利子来さんの残した言葉【たぬき先生】1929年11月27日~2017年10月26日
「生命とは身体だけではない。その人の存在がまわりの人々にどう思われているか。歴史の人もそうでしょ。」
「病気が一番治らないのは安静にすること。70過ぎたら健康診断はいらない。」
「子供は楽しくなると元気になる。」
「子供は、身体や気持ちを素直に表現する。でも大人はウソをつく。」
「よい親でなくとも子は育つ」
日本の小児科医。子供・障害児に関する著書を多数刊行している。
千葉県生まれ。父は内科医、名前は、詩経の中の「霊台」の箇所に出てくる成語から取られたもの。帝が民の楽しみのために霊台の建設を企てて呼びかけたところ、女子どもまでもがやってきたというくだりから取られたもので、「子どももやって来る」の意。ふつう、「子来」を「たねき」と読んでもらえないので、自ら「たぬき先生」と称している。父親は第二次世界大戦の終了3日前に戦場で拳銃自決。戦時中、岡山県の母方の祖父母に預けられるが、祖父は病死し、祖母も重症の火傷。苦労して、岡山医科大学(現・岡山大学医学部)を卒業。医師になってからは、大阪の社会的に底辺にある人たちの診療所などで勤務。そうした診療所の看護婦をしていた女性と結婚。その後東京に移り、原宿で小児科医院を開業。
幼児・子どもの見方、援助の仕方などについての世間の考え方を正し、そのための啓蒙に力を注ぐ。同様の活動に殉じたヤヌシュ・コルチャックを尊敬しており、NHK・BS「わが心の旅」という番組で、1996年コルチャック先生の足跡を追って、ポーランド、ワルシャワを訪れた彼の旅の記録が放送された。雑誌「小さい・おおきい・よわい・つよい」(ジャパンマシニスト社)の編集者代表、「ワクチントーク・全国」のアドバイザー的存在でもある。友人で、同様の活動を展開している人物に山田真がいる。1987年、『ひとりひとりのお産と育児の本』で毎日出版文化賞受賞。
ルソーの『エミール』に倣った『新エミール』と、その続編で小説仕立ての『エミールとソフィ』なども書いている。
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