佐々淳行さんの残した言葉【初代内閣安全保障室長】1930年12月11日~2018年10月10日
「尾張の戦国武将・佐々成政を祖とする佐々家の武士の血がそうさせたんでしょうな。主席領事にも言われましたよ。『いったい君になんの得があるんだ。君は見かけによらず要領が悪いんだね』と。自分でもわかっているんですよ。でも、肥後もっこす(正義感が強く頑固な熊本の県民性)というか、へそ曲がりの性分は簡単には『直りゃしねえや』と(笑)。」
「人を大切にすることの要諦は、当たり前のことですが、顔と名前を覚えることです。警視庁外事課第1係長に就任した時には、人事記録を取り寄せ、学生が英単語を覚えるように、105人いた部下全員の名前を配属から2日間で覚えました。『そこの若いの』と呼ぶのと、『山田』と呼ぶのとでは大違いですから。」
「人に投資する時にはお金の使い方も大事です。師である後藤田正晴さんは『佐々は自分のカネで奇麗に飲む』と評してくれました。組織のお金でおごっても駄目なのです。」
「2年前に腰を悪くしてね。それから杖をついているんだけど、不自由になると公共施設や道路の悪い点ばかり目につくんだよね。」
「私が仕事をする上で大切にしてきたのは、何と言っても人を大切にすることです。かなりの時間とお金を人に投資してきました。」
「人を大事にすれば、それは自分に戻って来る。」
「何人かは、わかってくれていました。いつかはみんなにも絶対わかってもらえるという自負があったからやってこれた。」
「泥水を飲まされ続けて、辞表も5回書いたけど、それでも辞めなかったのは、日本を守るというプライドでしょうね。」
日本の警察・防衛官僚。危機管理評論家。
戦国時代の武将・佐々成政、それより下って時代劇『水戸黄門』で知られる助さんのモデルとなった佐々宗淳の兄・佐々勝朗を祖先に持つ。
西南戦争で西郷軍に与し、後に済々黌を創設し、衆議院議員を務めた佐々友房は祖父。政治学者で参議院議員の佐々弘雄は父。朝日新聞記者・作家の佐々克明は兄。日本婦人有権者同盟代表で参議院議員の紀平悌子は姉。
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