左幸子さんの残した遺言【女優】1930年6月29日~2001年11月7日
「命懸けでやりなさい」
(妹(左時枝)への遺言)
日本の女優。富山県下新川郡朝日町出身。本名、額村幸子。 妹は同じく女優左時枝。元夫は映画監督の羽仁進。娘はエッセイストの羽仁未央。
私生活では、1959年に映画監督の羽仁進と結婚。1964年に長女・未央を出産。しかし、1973年に羽仁が未央を連れてアフリカに長期撮影旅行に出かけた際、これに未央とともに同行した左の実妹(四女)で当時羽仁のマネージャー務めていた額村喜美子と不倫関係にあったことを人づてに知り、ショックを受け自殺を図るが事なきを得た。このこともあり1977年、離婚し未央は父側に付き、羽仁はその4ヶ月後の11月8日、喜美子と再婚した。
1985年、胃癌のため胃の一部を切除するも体調が回復せず長く療養生活を送る。1991年に舞台『糸女』でカムバックを果たしたが、その後はバラエティ番組へのゲスト出演が活動の中心になっていった。晩年は『快傑熟女!心配ご無用』のレギュラーパネリストとして出演している。
コメント