八千草薫さんの残した言葉【生涯女優】1931年1月6日~2019年10月24日

「少しずつ変化していきたい」


「与えられたものを楽しくやって行こう」


「ちょっとだけ無理をして生きたい」


「ごまかしてそのまま先に進んでも、何か居心地が悪い」


「時間というのは、人間にも動物にも植物にも平等に与えられるものです。死も一緒です」


「家族っていうのが、一番人間にとってホッとするところ」


「(膵臓ガンになり)『まぁ、いいか』『まぁ、しょうがないな』と受け入れてやっていくより他ない」


「くよくよ悩んだからといって病気は治りません」


「年をとっていくと、それまで普通にできたことができなくなったり、少し怠けただけで体力や筋力が落ちたり。私もそういう自分が悔しいなぁと思ったり」


「この先そんなに長く生きる年齢ではない。寿命がすぐそこに見えているという事実が、私を冷静にさせました」


「(ガンと診断された時)『あ、とうとう来たんだ』という感覚でした」


「セリフを覚えるのも、公園で周りに人がいないなと思うと、けっこう大きな声を出している」


「犬と猫だけど仲よく、私のことを玄関で待ってくれています。それだけで、とても幸せ」


「今を大事に」


「楽しくやればいいことになる」


「いつも楽しくがモットー」


「今が気持ち良く過ごせれば、それで一歩ずつ歩いて行けばいいかな」


「過去の事も将来の事もあんまり考えない」


日本の女優。 大阪府出身。宝塚音楽学校卒。所属事務所は柊企画。愛称は「ヒトミ」。公称身長154cm。

聖泉高等女学校(現:プール学院中学校・高等学校)在学中に宝塚音楽学校に合格し、1947年に宝塚歌劇団入団(同期には淀かほる、百ちとせらがいる)。宝塚入団時の成績は50人中19位。入団当初は『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としたが、1952年『源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、絶大な評判と人気を博した。以降は美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡、同年から劇団内に新設された映画専科に所属した。1951年の『虞美人』、1952年の『ジャワの踊り子』にも出演している。

宝塚在団中から東宝映画などの外部出演をこなしており、当時の『お嫁さんにしたい有名人』の統計で、たびたび首位に輝いた。

1957年5月31日付で歌劇団を退団。最終出演公演の演目は花組公演『みにくい家鴨の子/王春讃歌』。

退団後はテレビドラマでのおっとりとした良妻賢母役が好評を得る。

一方、『岸辺のアルバム』での家族に隠れて不倫する主婦役で従来のイメージを覆し、テレビドラマ史に残る名作と評された。

私生活では1957年に映画監督の谷口千吉と結婚した。人気・好感度絶頂の八千草と、親子ほどの年の差があり、しかも3度目の結婚となった谷口の組み合わせは当時、多方面で話題・波紋を呼んだ(夫婦に子はなかったが、おしどり夫婦として知られ、結婚50年目となった2007年に死別するまで連れ添った)。

2010年3月中旬にドラマの撮影中に転倒し、右膝蓋骨を負傷。当初は全治3週間と診断されていたが症状が悪化し、5月開催の第19回日本映画批評家大賞授賞式を欠席した。

2014年、古巣・宝塚歌劇団創立100周年を記念して設立された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人の一人として殿堂入り。

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