ジェームス・ディーンさんの残した言葉【伝説の映画スター】1931年2月8日~1955年9月30日
「Death can’t be considered, because if you’re afraid to die, there’s no room in your life to make discoveries.」
(死は考慮しない。死ぬことを恐れたら、人生において何かを発見する余地はないからだ。)
「I also became close to nature, and am now able to appreciate the beauty with which this world is endowed.」
(わたしも自然に親しむようになり、そして今、この世界に授けられた美しさを認識することができるようになった。)
「Only the gentle are ever really strong.」
(優しさこそ、ほんとうの強さだ。)
「An actor should be judged by his performance only.」
(俳優は、その演技によってのみ評価されるべきだ。)
「My purpose in life does not include a hankering to charm society.」
(わたしの人生の目標に、魅力的な社交界へのあこがれはない。)
「The only greatness for man is immortality.」
(人間にとっての唯一の偉大さは、不死だ。)
「Studying cows, pigs and chickens can help an actor develop his character. There are a lot of things I learned from animals.」
(牛や豚、鶏を研究することは、俳優にとって芸の肥やしになる。動物たちから学んだことはたくさんある。)
「Being an actor is the loneliest thing in the world. You are all alone with your concentration and imagination, and that’s all you have.」
(俳優であるということは、世界で最も孤独なことだ。独りきりで集中し、創造力を働かせる。それ以外にないのだから。)
「When an actor plays a scene exactly the way a director orders, it isn’t acting. It’s following instructions. Anyone with the physical qualifications can do that. So the director’s task is just that – to direct, to point the way. Then the actor takes over. And he must be allowed the space, the freedom to express himself in the role. Without that space, an actor is no more than an unthinking robot with a chest-full of push-buttons.」
(俳優が監督から言われた通りに演じたとしても、それは演技ではない。指示に従っているだけだ。そんなものは見た目さえ適切ならば誰にでもできる。監督の仕事とは指揮すること、つまり方向性を示すこと。そこから先は俳優の仕事になる。俳優には演技の中で自分自身を表現できる自由、そんな空間が必要なんだ。その空間がなければ、俳優は胸にプッシュボタンをぶら下げた考えることのできないロボットと何もかわらない。)
「What better way to die? It’s fast and clean and you go out in a blaze of glory.」
(これよりいい死に方があるかい?一瞬にして跡形もなく、輝かしい栄光に包まれて死ねるんだ。)
「Trust and belief are two prime considerations. You must not allow yourself to be opinionated.」
(信頼と信念、この二つは考慮すべき最も重要なものだ。君は決して意固地になってはいけない。)
「To my way of thinking, an actor’s course is set even before he’s out of the cradle.」
(わたしの考えでは、俳優への道は、ゆりかごを出る前から決まっている。)
「Being a good actor isn’t easy. Being a man is even harder. I want to be both before I’m done.」
(いい役者になるのは簡単じゃない。一人前の男になるのはもっと難しい。終わりが来る前に僕はその両方でありたい。)
「I really don’t know who I am, but it really doesn’t matter.」
(自分がどんなやつか本当に知らないんだ。でもそんなことは問題じゃない。)
「How can you measure acting in inches?」
(演技をインチ(身長)で評価できるわけないだろう?)
「Take it easy driving – the life you save may be mine.」
(無茶な運転はしないように。君が救う命は僕の命かもしれないんだから。)
「The gratification comes in the doing, not in the results.」
(満足感は結果にではなく、過程にこそある。)
「If a man can bridge the gap between life and death, if he can live on after he’s dead, then maybe he was a great man.」
(生と死のはざまを埋めることができたら、つまり死んだ後も生き続けることができるなら、その人は偉大な人間だったといえるだろう。)
「Live fast, die young, leave a good looking corpse.」
(思うがままに生き、若く死に、亡骸は美しいままに。)
「You try to be yourself, do only what you’ve always done and like to do, and right away, you’re tagged as an oddball.」
(ありのままの自分になろうとして、いつもやっていることやしたいことだけをする。その途端、君は変わり者のレッテルを貼られるだろう。)
「Racing is the only time I feel whole.」
(レースは自分が完全になったと感じることのできる唯一の瞬間だ。)
「Dream as if you’ll live forever.Live as if you’ll die today」
(永遠の命があるつもりで夢を抱き、今日限りの命と思いながら生きろ)
アメリカの俳優。身長170cm。ジミー・ディーンとも呼ばれる。代表作は「エデンの東」
ロサンゼルスの退役軍人病院に勤める歯科技工士の父ウィントン・ディーンと母ミルドレッド・ウィルソンのもとにインディアナ州マリオンで生まれる。しかし、父母は行きずりの恋から始まった婚前妊娠だったことから、父のウィントンは息子のジェームズの誕生を喜ばなかったという。反対に、父親に無視される事となったジェームズにミルドレッドは深い愛情を注いだという。ジェームズが9歳の時ミルドレッドが卵巣がんで亡くなると、ウィントンはフェアマウントで農場を営む姉夫婦に彼を預け、そこで育てられた。
高校時代から演劇に興味をもち、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の演劇科で学んだ。舞台やコマーシャルなどに出ていたが、更に俳優としてのキャリアを追い求めるために中退、ニューヨークに移った。そこで1950年代の『Kraft Television Theater』、『Danger』や『General Electric Theater』のようなテレビ番組の何編かに出演した。この頃よりジェームズはアンドレ・ジッドの『背徳者』に心酔してハリウッドへ行き、映画スターとなることを夢見るようになる。
『底抜け艦隊』等の映画の端役をいくつかこなした後、1955年に『エデンの東』のキャル・トラスク役で初めて主役を演じて認められた。彼はこの役でアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされた。この後、続けざまにその年の『理由なき反抗』で主役を、『ジャイアンツ』で準主役を演じ、またもやアカデミー賞にノミネートされることになる。
『ジャイアンツ』の撮影終了1週間後の9月30日、ジェームズはサリナスで行われるレースに向かうために同乗者の自動車整備士ラルフ・ウッタリックと共に、愛車であるシルバーのポルシェ・550/1500RSでカリフォルニア州の州道を走行中、午後5時15分にショラム近郊にある州道46号線と41号線の東側の分岐点で、交差点を転回していたフォードに衝突した。ウッタリックは車外に投げ出されて骨折、フォードの運転手も軽傷で済んだが、ジェームズは首の骨を含む複雑骨折、内臓損傷などでほぼ即死状態であった。『理由なき反抗』は、死から約1ヶ月後の10月27日に公開された。
コメント