山本清一さんの残した言葉【日本一の瓦葺職人】1932年11月1日~2018年12月12日
「職人というのは、人知れず役に立ってればええんや。」
「できへんやつが一生懸命にやるほどきれいなものはない。できるからっちゅうて手を抜くと魂が入った仕事にならへん。」
「一生懸命にやってたら、神さんか何かわからんけど力を貸してくれるんやな。」
「まあ、90%は失敗するやろ。残り10%は勝算やのうて希望ですわ。」
日本の瓦工事技術者、日本伝統瓦技術保存会会長。奈良県生駒市に生まれる。奈良の寺院や姫路城の修理に携わった。
父は瓦を葺く職人で清一は尋常高等小学校卒業後に職人になり21歳まで父の下で仕事をする。その後、文化財の瓦葺きの棟梁の井上新太郎のもとで修行し、26歳で独立した。東大寺大仏殿や法隆寺金堂など多くの伝統的な建築物の復元、再建に取り組む。1960年、28歳で姫路城昭和大修理の瓦工事の棟梁が辞め次の棟梁に抜擢され務める。1963年、31歳で会社組織化し山本瓦工業株式会社を設立する。2000年に従来の瓦の問題点を解決した南都平瓦を開発し特許取得する。
1994年には文部大臣より、選定保存技術保持者「屋根瓦葺(本瓦葺)」に認定される。主に、法隆寺金堂、姫路城、東大寺大仏殿、薬師寺、唐招提寺金堂、平城宮跡朱雀門・大極殿、東本願寺、松本城の修復に携わる。1998年には労働大臣卓越技能者表彰、さらに、2001年には黄綬褒章、日本伝統瓦技術保存会3代目会長に就任する、2007年には旭日双光章を受章する。2011年姫路城の平成大修理の屋根瓦の工事を統括する棟梁に再度選ばれる。現役を続けるとともに次世代の育成に力を入れていた。
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