オスカー・デ・ラ・レンタさんの残した言葉【ファッションデザイナー】1932年7月22日~2014年10月20日
「Things never happen on accident. They happen because you have a vision, you have commitment, you have a dream.」
(物事は偶然に起きるわけではありません。しっかりとしたヴィジョンや責任感、夢があるから起きるのです。)
「Being well dressed hasn’t much to do with having good clothes. It’s a question of good balance and good common sense.」
(いい服を着ているから、お洒落というわけではありません。重要なのは、絶妙なバランス感覚と良識です。)
「Fashion is about dressing according to what’s fashionable. Style is more about being yourself.」
(流行に合わせた服を着るのがファッション。自分らしい服を着るのがスタイルです。)
「Be the designer of your own destiny.」
(運命とはあなた自身がデザインするもの。)
「Walk like you have three men walking behind you.」
(ドレスアップした時、後ろに3人の男性を従えているような意識で歩いて。)
「I don’t really know how to do casual clothes.」
(カジュアルウェアはどうも苦手なんだ。)
「Elegance is a discipline of life.」
(エレガンスとは、人生を鍛錬するもの。)
「Luxury to me is not about buying expensive things; it’s about living in a way where you appreciate things.」
(私にとってラグジュアリーとは、ただ高価なものを買うことではありません。価値を見出す力を持つことです。)
「The qualities I most admire in women are confidence and kindness.」
(私が女性を素晴らしいと思う点は、その自信と優しさ。)
「I am not interested in shock tactics. I just want to make beautiful clothes.」
(ショック戦術には興味がありません。ただ美しい服が作りたいだけなのです。)
アメリカ合衆国のファッションデザイナー。ドミニカ共和国出身。 保険会社を営むプエルトリコ出身の父、スペイン系の母のもとに生まれた。7人兄弟の第1子で、唯一の男児であった。19歳で絵画を学ぶためマドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに留学。
金を稼ぐために、新聞やファッション・ハウスのため服を描き始めた。当時の駐スペイン・アメリカ合衆国大使ジョン・デイヴィス・ロッジの妻フランセスカが、彼の描いたスケッチに目をとめ、娘の着るガウンのデザインをデ・ラ・レンタに依頼した。このドレスは秋に発行されたライフの表紙に登場した。彼はすぐにファッション・デザインの世界に関心を持つようになり、スペインをリードするファッション・ハウスのためにスケッチを始めた。その後すぐに、スペインで最も有名なクチュリエであったクリストバル・バレンシアガのもとで見習いとなった。彼はバレンシアガを師と仰いだ。デ・ラ・レンタは、パリのランバンでオートクチュールのアシスタントをすることになったアントニオ・カスティーリョ(のちに衣装デザイナーとなって1971年度のアカデミー衣裳デザイン賞を受賞する)と合流するためスペインを発った。
デ・ラ・レンタはエリザベス・アーデンで2年働いた後、1965年よりジェーン・ダービーに入った。同年8月にダービーが死去すると、Oscar de la Renta for Jane Derbyのブランド名で再出発したが、1966年より自身の名前オスカー・デ・ラ・レンタのブランド名に変更した。
1993年から2002年まで、フランスのクチュール・メゾンであるピエール・バルマンのオートクチュールのクチュリエとなった。彼はフランスのオートクチュール初のドミニカ共和国出身クチュリエとなった。
デ・ラ・レンタは1967年と1968年の2度、コティ賞を受賞し、1973年にはコティ賞の殿堂入りを果たした。
1973年から1976年、1986年から1988年の2度、アメリカ・ファッション協議会(CFDA)の会長を務めた。
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