平幹二朗さんの残した言葉【俳優】1933年11月21日~2016年10月22日
「あくまでクールに言葉を伝えていかなきゃいけない。感情で芝居をするなってことです。」
「ほかに趣味もないし、お金もうけの才覚もない。舞台はアドレナリンが出るんですよ。」
「浅利さんは今も同じことをおっしゃいます。それは『言葉はあくまでも観客に伝わらなくてはならない』ということです。そのためには一節ずつ全て綺麗に『音が切れる』必要がある。」
「言葉をはっきり伝えるのが役者のやるべきこと。」
「金は天下の回りもの?では私の列は飛ばされているとでも?」
日本の俳優・演出家。ケイファクトリー所属。長男は俳優の平岳大。 主に舞台演劇役者の主演として活躍し、国内外で高い評価を受けている日本を代表する名優の一人である。その他にも、大河ドラマなどのテレビドラマや映画などでも活躍した。
四季がミュージカルに力を入れ始めたころ蜷川幸雄に出会い、1976年に蜷川演出『近代能楽集 卒塔婆小町』主演を皮切りに、『王女メディア』『近松心中物語』『NINAGAWAマクベス』『タンゴ・冬の終わりに』『テンペスト』『グリークス』『リア王』など長年に渡り蜷川演出作品に主演、海外公演でも高い評価を得る。1993年には、東京グローブ座でシェイクスピア全37作品上演に挑戦するという壮大な計画を発表。以後『マクベス』(1993年)、『ハムレット』(1994年)、『オセロ』(1995年)、『十二夜』(1995年、1998年)、『リア王』(1997年)、『テンペスト』(2000年)など、着実に実行していった。陰影に富んだ格調の高い演技で悲劇的人物を得意としていた。
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