菅原文太さんの残した言葉【俳優】1933年8月16日~2014年11月28日
「オレもぐうたら人間でね、本質は。仕事のないときは家でゴロゴロしている。たかだか人間、気軽にやったほうがええわな。」
「考えてみりゃあ人間なんか生きていること自体がバクチのようなもん。」
「政治の役割はふたつあります。一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」
「沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も空気も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。」
「アメリカにも、良心厚い人々はいます。中国にもいる。韓国にもいる。その良心ある人々は、国が違えど同じ人間だ。」
「戦後の日本はすべてがモノとカネに結びついてきた。そこが変わらないとな。」
「本来、人の命を養うための営みが、利益や効率を追い求めて、いつの間にか商業や工業のようになってしまった。」
「スネに傷を持たない人間なんていないじゃないか。どこかで間違いのひとつやふたつ犯している。真っ白な無謬な人間なんていない。」
「今の世の中は人間をテレビ画面くらいの小さな枠に収めようとする。俺たちが生きてきた映画の枠は大きなスクリーンだったから、誰でも受け入れた。」
「ヘンクツや異端者と呼ばれてもいいじゃないか。変わり者の生き方の方が面白いよ。」
日本の俳優、声優、ラジオパーソナリティ・農業従事者である。愛称は文ちゃん・文太兄い。 父は洋画家、詩人の狭間二郎。妻は菅原のマネージャーを務めており、長男は菅原加織。他に娘が2人いる。宮城県仙台市出身。
東映に移籍はしたものの、ほとんどセリフの付かない役ばかりで、役を貰えないかと新東宝仲間である石川義寛監督の下宿を訪ねることもあったといい、東映京都撮影所作品『怪猫呪いの沼』(1968年)での端役も、石川監督が気の毒がって起用したものだったという。翌1969年(昭和44年)の『現代やくざ 与太者の掟』が、東映での初主役作となる。この『現代やくざ』シリーズは1972年(昭和47年)まで続く作品群で、ヤクザを美化した従来の任侠映画ではなく、現実的な「ワル」を主人公にしたものであり、後の実録映画の先駆けとなった。また、同年には『関東テキヤ一家』シリーズ、1971年(昭和46年)からは『まむしの兄弟』シリーズに主演。
1973年(昭和48年)から始まった『仁義なき戦い』シリーズで、東映を代表するスターのひとりになった。映画史に残る作品にもなったこのシリーズのヒットで東映は任侠路線から実録路線に転換、1974年(昭和49年)末からスタートした『新仁義なき戦い』シリーズや1975年(昭和50年)に始まる『トラック野郎』シリーズ(一番星・星桃次郎 役)もヒットした。
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