上田昭夫さんの残した言葉【ラグビー選手】1952年10月12日~2015年7月23日

「日本一の思い出を話しても何の役にも立たない。」


日本のラグビー選手及び指導者。元日本代表でキャップ6。元慶應義塾體育會蹴球部監督。フジテレビジョン社員としてニュースキャスターを務めたことでも知られる。身長160cm、体重60kg。
1984年、母校の慶大監督に就任。同年度の関東大学ラグビー対抗戦(以下、対抗戦)で優勝に導く。その後、全国大学ラグビーフットボール選手権大会では決勝に進出し、同大会3連覇を狙う同志社大学と対戦。同志社有利という下馬評の中、最後まで健闘したが、6-10で惜敗した。
翌1985年度は後に日本代表選手となる松永敏宏、村井大次郎に加え、玉塚元一らが卒業した影響もあり、対抗戦ではまさかの4位に甘んじ、かろうじて、大学選手権の出場権をかけた、リーグ戦グループとの交流試合へと駒を進めた。すると、この試合で同年度のリーグ戦を制した日本大学を破って大学選手権出場を決めると、大学選手権では大阪体育大学、早稲田大学を破って決勝進出。決勝は同年度に対抗戦で優勝した明治大学と対戦し、一進一退の攻防の末、12-12で引き分け。慶大として1968年度以来となる大学日本一を果たしたが、1986年1月15日に行われる日本選手権の出場権は、大学選手権決勝翌日の抽選の結果、慶大が出場権を得た。
迎えた日本選手権は、当時、上田自身がまだ在籍していたトヨタ自動車が相手。また、トヨタ自動車の当時の監督は、選手として上田とともに8年前の日本一を経験した境政義という、因縁尽くしの対戦となったが、18-13で制し、大学チームとしては、1975年度の明治大学以来、史上5校目となるラグビー日本一をもらたした。日本一となった試合の主な選手には、生田久貴、福澤克雄などがいた。なお、日本一を決めた試合を最後に、上田は慶大監督を退任した。

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