ジョニー大倉さんの残した言葉【キャロル】1952年9月3日~2014年11月19日
「いかなる困難があろうが、ひとつひとつ地道に努力し、そして待つことである。希望を決して失わず、時を知り、時をつくり、時を待つことである。必ずや、勝利の時は、訪れる。」
ミュージシャン、俳優。本名:大倉 洋一、韓国名:朴 雲煥。神奈川県川崎市出身。在日韓国人2世。血液型AB型。左利きであるが、ギター演奏は右へ矯正していた。身長172cm、体重67kg。
1972年に矢沢永吉らとキャロルを結成し、当初は内田裕也へプロデュースの依頼を検討したものの、結局はミッキー・カーチスのプロデュースでデビュー。キャロルでは、ギターと作詞を担当。矢沢永吉と共に曲作りのコンビを組んで、1973年には「ファンキー・モンキー・ベイビー」などの大ヒット曲を生み出した。はっぴいえんど等が日本語をロックの音楽にのせるために奮闘していた時代に、堂々と日本語と英語をミックスした曲を作詞した草創期の人物である。1975年にキャロルによる共著『暴力青春』で在日韓国人二世であることをカミングアウト。
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