ウォーレル・デインさんの残した言葉【サンクチュアリ・ネヴァーモア】1961年3月7日~2017年12月13日
「ステージにいるのは世界一最高の気分なんだ。出番をじっと待つのは辛いけどね。」
「あの頃は(自分達が)シアトルのバンドであることに奇妙な思いを抱いていた。グランジの人気であれだけ爆発的だったから、それに倣えというプレッシャーが物凄かった。」
「俺だって過去のあるバンドのコンサートを観に行けば昔の曲を聴きたい。それをバンドがやらなかったら腹が立つだろうな。だから俺達もやっているんだ。」
「俺が書く曲は夢の中で思いつくものが多い。俺は夢日記をつけていてね、夢で見たことを常に書き留めている。」
「自分達の音楽だけで食べていけるようになるには、物凄い枚数のレコードを売らなくてはならない。」
「俺は敢えてヘビーメタルは余り聴かないようにしているんだ。聴くと自分の好きなバンドに影響されてしまうからね。(笑)」
「初来日のとき、道端にビールの販売機があるなんて信じられなかったよ。あんなものがアメリカにあったら、設置された瞬間に子供がぶっ壊して盗っていくよ。」
「俺も嫌なことを随分経験したし、苦悩の時期も体験した。嫌なことを経験すると、良い事に対する感謝の気持がずっと大きくなる。」
「心から好きなのはやっぱりヘビーメタルだけど、ミュージシャンだったら色々なタイプの音楽を認めてそれを聴くべきだと思うね。」
「80年代はとても特別な時代だった。凄く良いバンドが成長していたかと思えば、至って普通のバンドもいた。良いバンドはトップに躍り出て、それほど良くないバンドは消えて行ったんだ。」
「俺達はずっと今と同じ音楽をプレイしてきた。正直にやりたい音楽をやっていれば、聴衆にはそれが伝わるはずだ。」
「俺が解釈する言葉の意味と、他の人が解釈する言葉の意味は違っているからね。でも、それこそが芸術や詩や音楽の魅力だと思う。」
「メタルシーンでは誰もが、程度こそ違えど顔見知りみたいなものだからね」
アメリカ合衆国出身のボーカリスト、ミュージシャン。 同国のヘヴィメタル・バンド「サンクチュアリ」及び「ネヴァーモア」のボーカリストとして知られ、ソロも並行して活動している。
かつて5年ほどオペラ歌手としてトレーニングを受けていたこともあり、その声域は彼を教えていた講師によると5~6オクターブあるとの事。通常は独特のバリトンで歌う事が多い。
所属バンドでのソングライティングも担当しており、歌詞の多くは宗教や政治への批判や、最先端技術への複雑な心情などを表現していることが多い。 また正規の調理師とのしての資格も所有しており、出身地のシアトルでレストランを経営していた事もある。
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