北島秀一さんの残した遺言【ラーメン評論家】1963年1月1日~2014年9月1日
「これで僕が死んだら、北島はラーメンのせいで死んだと言われてしまうだろうけれど、僕の病気とラーメンはまったく関係無いということを、僕が死んだ後に必ず伝えて欲しい。」
(遺言)
日本のフードライター、ラーメン評論家。元新横浜ラーメン博物館広報担当。
広島県広島市出身。広陵高等学校卒。進学のため上京、大学の通学路にあった熊本ラーメン桂花に魅せられる。大学卒業後、大手電機メーカーに就職、出張先でラーメンを食べまくる。新横浜ラーメン博物館のサイト「ラーメンネット」の参加が同博物館のスタッフの目に留まり、1997年、テレビ東京『TVチャンピオン』第4回ラーメン王選手権に出場。決勝戦で石神秀幸との激戦の末惜敗、準優勝。これを機にこの後、同番組の問題作成委員会に加わり、また週刊現代など多くの雑誌にラーメン評論を掲載、ラーメンジャーナリストの草分けとなった。同年12月から自身のラーメン食べ歩記サイト「電脳麺記」を開始。1999年同博物館に転職、広報などを担当していたが白血病を患い2003年退職した。
その後はフリーのラーメンジャーナリストとして、雑誌への寄稿やテレビ出演などで活動した。その他、川崎駅前のラーメン横断組織「川崎麺店会」の発起人になるなどの活動も行った。2004年6月には、日本国内の全ての都道府県のラーメン食べ歩きを達成した。また、日本ラーメン協会の設立メンバーの一人で、顧問を務めていた。
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