梅津正彦さんの残した最後の言葉【ボクシングコーチ】1968年12月13日~2013年7月23日
「(来るの)遅かったな」「抱っこして」
(病院へ駆けつけた南海キャンディーズのしずちゃんへ)(最後の言葉)
日本のアクションディレクター、コーディネーター、ボクシングコーチ。山形県酒田市出身。
日本のアクションディレクター、コーディネーター、ボクシングコーチ。山形県酒田市出身。
山形県立酒田東高等学校卒業。大学中退。高校でボクシングを始め、ソウルオリンピックを目指したが、怪我のため引退。
映画監督を志し松竹シナリオ研究所入所。松竹大船撮影所等で映画・テレビドラマ、野村芳太郎監督の戦争ドキュメンタリー作品、七人のおたくなどの助監督を務めた。その後ボクサーの経験を生かし、ボクシングコーチ、アクションディレクターとなる。映画・テレビ・CM・舞台等でボクシングやアクション指導をしながら、プライベートレッスン専門で梅津ボクシング倶楽部を主宰し、ダイエット指導等も行っていた。
男子では瀬川設男・西澤ヨシノリ・大曲輝斉・杉田竜平・柴田明雄・内山高志らのチーフトレーナーを務め、高阪剛・TATSUJI・大渡博之らにもボクシングを指導したほか、女子では山崎静代(南海キャンディーズ)の専属トレーナーとして世界レベルで戦えるまでに育てた。
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