梅津正彦さんの残した遺言【ボクシングコーチ】1968年12月13日~2013年7月23日

遺言インタビュー

健康な人には、僕のいまの気持ちは正直、わからないと思うんですよね……。余命があと30年あったはずが、突然、1年しかなくなった。僕の1日は、普通の人の30日分なんですよ。
だから、僕が子供と長く遊びすぎると、カミさんが『もう、いい加減にしなさい』と叱るけど、『お前はこれから子供と何十年も一緒にいられるんだろ? 俺はあとどれだけいられるかわからないんだぞ!』って、逆ギレですよ(笑)。
そんなわがままな亭主ですけれど、カミさんはいま、やれることは全部やってくれています。 そろそろ“死ぬ準備”もしておかなきゃと思っています。息子は5歳で、本当に可愛い盛りです。でも、来年の6歳の誕生日までは、自分が生きられるかわからない。ランドセルを背負う姿を見るまでは、と思ってはいるんですが……。
それで、息子の毎年の誕生日に贈る手紙を書いておこうと思って。6歳用、7歳用、8歳用…と20歳くらいまでね。ずっといま書いているんです。だって、死んじゃったら書けないですから(笑) いまも、実は健常者のふりをしているだけなんですよ。
やっぱり、俺は末期がん。だから、ときには本当に発狂したくなったりもするんです。それが、いまの偽らざる心境なんです。
ボクシングに、僕は人生を教えてもらいました。その素晴らしい世界を俺もまた誰かに伝えたくて、いままでやってきた気がします。そのなかで出会えたさまざまな人たちとの交流が、僕にとっては宝でした。
“本当にありがとう”。
僕はボクシングにそう言いたいですね。

日本のアクションディレクター、コーディネーター、ボクシングコーチ。山形県酒田市出身。
山形県立酒田東高等学校卒業。大学中退。高校でボクシングを始め、ソウルオリンピックを目指したが、怪我のため引退。
映画監督を志し松竹シナリオ研究所入所。松竹大船撮影所等で映画・テレビドラマ、野村芳太郎監督の戦争ドキュメンタリー作品、七人のおたくなどの助監督を務めた。その後ボクサーの経験を生かし、ボクシングコーチ、アクションディレクターとなる。映画・テレビ・CM・舞台等でボクシングやアクション指導をしながら、プライベートレッスン専門で梅津ボクシング倶楽部を主宰し、ダイエット指導等も行っていた。
男子では瀬川設男・西澤ヨシノリ・大曲輝斉・杉田竜平・柴田明雄・内山高志らのチーフトレーナーを務め、高阪剛・TATSUJI・大渡博之らにもボクシングを指導したほか、女子では山崎静代(南海キャンディーズ)の専属トレーナーとして世界レベルで戦えるまでに育てた。

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