エイミー・ワインハウスさんの残した言葉【21世紀最高のシンガー】1983年9月14日~2011年7月23日

「自分に才能があるのは分かっている。でも歌う為に(神様に)ここに置かれたわけではないの。妻とママになって、家族の面倒を見る為にここに置かれたの。自分のやっていることは大好き。でもここで始まって終わるわけではないのよ」


「音楽をやってギグをプレイするのが大好きだし、それができることを凄く感謝している。でも正直言って、わたしはファン層のことを考えるようなタイプではないの。そういうことには興味ないのよ」


「正直言って、わたしは色々な音楽を聴いているわけではないの。ちょっと老人みたいなのよ。周りではやっていることはあまり意識していないの。クールで子供達が好きなのは知っているけれど、あまりピンとはきていないの。言ってること分かるかしら?60年代のドゥーワップ、ソウル、それにモータウンの女性グループは凄く聴いている…その姿勢や劇的な様子が好きなの。(でも)洗練されたグループはあまり好きじゃなかった。シュープリームスの大ファンではないしね。ゴールディー&ザ・ジンジャー・ブレッズのようなガレージ・ガール・グループが好きなの」


「もし自分でやっていなかったら、それを曲にすることなんてできない。自伝的なものでなければならないの。厄払いね。その中に自分の全てを注ぎ込んでいる。自分の経験を伝えられるこの表現手段がなかったら、道に迷っていたでしょう」


「わたしは複雑なコード構成にうんざりしていて、何かもっとダイレクトなものを欲していたの。50年代と60年代の女性グループをたくさん聴いていて。それらのシンプルさが気に入っていたの。何が言いたいのかはっきり分かる感じで。それでそういう方法で曲を書こうと思い始めたの」


「わたしは女の子っぽい女の子なの。この音楽だけなのよ、人生の中で唯一威厳を保っていられるのは。人生の中で堂々と振る舞いながら、「誰もわたしに触れることはできない。だって誰もわたしに触れることはできないのだから!」と言える、人生の中のただひとつの空間」


「音楽は人生で自分がすっかり正直になれる対象であり、だから時々歌いたくないと思う曲もある、それがあまりに生々しいから」


「わたしは運命を信じているし、全ての出来事には意味があると思っているけれど、神様がいるとは必ずしも思っていないの。でもカルマはすごく信じている。失礼な人達が周りにあまりに多くいるし、彼等には真の友達がいない。そして人生で一番の喜びをもたらしてくれるのは、人との関係…おかあさん、おばあちゃん、それから自分の犬。クツとバッグ以外では…ね」


「わたしは残りの人生をカヴァー・バンドで歌って過ごすことになったとしても、喜んでそうしたわ。今後何百万年、何十億年あっても、一連の(テレビ・タレント)ショウに出演することは絶対にないわ。だって音楽性は他の誰かを判断する為のものではないから。音楽は自分の中にあるもの。ああいったショウに出演する人達はクソだけど、それでも自分達がそうだとはっきり言われるのは、ダメージが凄く大きいと思う」


「6歳か7歳の時、カイリー・ミノーグが好きでマドンナに夢中だった。マドンナの『Immaculate Collection』は11歳くらいになるまで毎日聴いていた。その後ソルトン・ペッパーとTLCを発見したの。もう「ああ、なにこれ…これこそわたしの音楽だわ!」という感じだった。わたしと親友のジュリエットは生まれて初めてのバンド‘スウィート・ン・ サワー’を始めたの。ふたりはラッパーだったのよ。言うまでもなく、わたしは‘サワー’の方だったんだけどね」


イギリスのソウルミュージック、ジャズ、R&Bのシンガーソングライター。
2003年にアルバム『フランク』をリリースしてデビュー。英国内で67万枚を超えるヒットとなり、一躍トップスターの一人となる。1960年代の初期ソウルミュージックを思わせる生演奏のバンドを従え、ビリー・ホリデイのようなハスキーな歌唱が持ち味である。
2006年のアルバム『バック・トゥ・ブラック』も高い評価を受け、全英で1位(全米では7位)を記録した。ブリット・アウォーズでは、最優秀女性ソロ・アーティストに輝いた。その後もヒットを続け、翌2007年に全英で最も売れたアルバムとなった。
薬物中毒やアルコール依存症など、スキャンダラスな人物でもあり、2007年8月に夫と共に飲酒・薬物のリハビリ施設に入所、2008年1月24日には再びリハビリ施設に入所。グラミー賞を受賞した「リハブ」はリハビリ施設へ入所した自身の体験を元にしている。

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