土井正三さんの残した言葉【奇跡の走塁】1942年6月28日~2009年9月25日
「100人いれば99人にとっては通用するが、残りの1人には通用しない。」
プロ野球選手・監督、野球解説者。兵庫県出身。
土井が名声を挙げたのは、1969年の阪急との日本シリーズでの本塁突入の走塁である。10月30日の第4戦(後楽園)の4回裏、無死1・3塁でダブルスチールが敢行された。阪急の捕手・岡村浩二から二塁手・山口富士雄を経て再び送球を受けた岡村は、本塁突入を図った三塁走者の土井をブロック。傍目にはブロックが完全に成功したように見えたが、球審の岡田功はセーフの判定を下した。この判定を信じられず激昂した岡村は同球審に暴力を振るい、日本シリーズ史上初の退場処分を受けた。試合後、川上哲治監督は土井に「ベースを踏んだのか」と聞くと、土井は「踏んだ」と無表情に答えたという。その翌10月31日に岡村のブロックを掻い潜って股の間からホームベースを踏む土井の足を写した写真が、各新聞の第一面に掲載された。このことから、土井の走塁技術と審判の的確さが賞賛された。同走塁はメディアにおいて「奇跡の走塁」と評され、土井は「忍者」と称された。
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